ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

エネルギー

 朝、顔を洗いながら考えた。こんな具合にお湯が出てくる様になったのは一体いつ頃からだったろうか。私が小学校の低学年の頃、横浜の三渓園の先は海だった。そこまで臨海学校と称して夏休みに市電に乗って毎日通った。私を泳げる様にしてくれた海だ。そこを人工的に埋め立てて陸地にしてしまい、今は石油タンクの基地になっている。あの頃は都会の臨海部はどんどん埋め立てられて海は市民から取り上げられていった。なにしろ公共のためという理屈が成り立っていたんだけれど、実際には民間企業がそれで潤っていった。
 当時、あのあたりに占領軍の居住地域があって、まるで工場の様な大きなボイラー基地があった。何のための建物か知るよしもなかったのだけれど、あそこでお湯を沸かして占領軍の住宅地域にパイプで配っているのだと聞いて腰をぬかさんばかりに驚いた。ということはあの白いペンキで塗られた家の中にはいつでもお湯が出るということだからだ。
 しかし、今や私たちの生活はもうほとんどあの家々と同じようだ。今ではいつでも思い立ったら、そうしたかったら風呂にも入れるし、シャワーを浴びることも出来るし、冬でも大丈夫だ。かつては風呂をたてたら冷めないうちに家族全員が次々に入った。今は各自が好きな時間に入っている。つまりそれだけエネルギー消費が自ずから増えていると云うことだ。こうした生活を経験したことがないというのに、今までさんざんそんな具合にエネルギーを遣い倒してきた奴らに「君たちはこんなことをしちゃいけないよ、僕たちはやってきちゃったけれど」と云われても納得できないだろうなぁ。とはいえ、そのままで行くなら、潰れてしまうのは仕方がないということにするしかないんだろうなぁ。