ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

レクチャー

 保阪正康のレクチャーに新宿に行く。終戦から占領終結までも含めて「戦争」なのだとする考え方を明確に否定するところから始まる。敗戦の日を挟んで前後で、日本の政・経・社会・文化は非連続か、連続か。元日教組の槇枝を取材した経験から彼を例にとって、そして日本国民のマッカーサーへの反応の仕方まで含めて彼は例示する。槇枝は最後に情に訴える。それは瀬島と一緒だったという。「その時、その時にあわせた考え方が日本人にはできる」と彼は云うが、これは明確にいってしまえば日和見主義だと云うことだ。「拝啓マッカーサー元帥様」を改めて読んでみる必要があるなぁと思う。非戦(反戦)と厭戦(嫌戦)との明確な立場の違いを認識すべきだとは、なるほどだ。
  E. B. Sledgeという米国人の生物学者がペリリュー島と沖縄での戦闘の時点で自分という人間の感覚がどのように変化するかについて書いているそうだ(「With the Old Breed: At Peleliu and Okinawa」)。戦争は何から何まで全く無駄なことだと思っていた自分が、戦闘が続くにつれて「日本兵なんてどうでも良いんだ」と思い始める。代わりに知識階級に属する自分の友が戦死すると嘆き悲しむ。「日本兵ではなくて、これが相手がドイツ兵であったらここまでやるだろうか」と自問自答する。そして帰りの船の中でやっぱり「すべては無駄だ」と元に戻った結論を得る。しかし、日本の旧軍人の中でこのような回想を書いた人は大変に少ないというのだ。さすがにE. B. Sledgeの著作は日本語訳されていないのだろうか。Amazon USAでは194ものレビューがあり、そのうち179が5☆評価している。
今日聞いた言葉:「阿諛(あゆ)する」:「顔色を見て、相手の気に入るようにふるまうこと。追従(ついしょう)。「—迎合」(大辞泉)」
 終わって外に出ると、また自衛隊の音楽隊が演奏している。ずいぶん頻繁にやっているものだ。自衛隊の宣伝活動なんだろうか。ところで自衛隊の宣伝はなんで必要なのだろうか。志願する兵が減っていると云うことか。だったらこんなところでやっても効果は少なそうだけれどなぁ。

With the Old Breed: At Peleliu and Okinawa

With the Old Breed: At Peleliu and Okinawa

新聞と戦争

新聞と戦争

日本軍の捕虜政策

日本軍の捕虜政策

 家電量販店でマウスとLANケーブルを入手。
 紀伊国屋にあがって現代史の棚を見ると、朝日新聞の夕刊で連載していた「新聞と戦争」がまとまった新刊本として出ているのを発見。朝日新聞出版 2008.06.30で、帯は「井上ひさし氏推薦」である。これは連載中からまとまったら読もうと思っていた。
「日本軍の捕虜政策」内海愛子著を発見。青木書店 (2005/04)。これはちょっと読んでみたいと思う。ページ数、価格に恐れをなして入手せず。
 地下の「水山」で「生湯葉とろろうどん」を食す。美味なり。ここの女性従業員は皆さん、とても気分がよい。