ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

衆議院予算委員会

 菅直人麻生太郎定額給付金をあなたは受け取るのか、と迫ったら「まだ予算も通っていない段階からそんなことはいえない」と答えた。じゃ、さもしいと思った発言はなぜ発せられたのか。この人は居酒屋でうだうだいっていたら面白いのかも知れないけれど、国会の場にははなはだふさわしくない発言ばかりだ。
 渡辺喜美の総裁宛提言書は幹事長は読んだかも知れないが麻生太郎は読んでいないと回答。すると菅直人が自分で読んだ。

仙谷劇場

 仙谷由人の演説は実にうまいものだ。仙谷由人劇場といっても良い。渡辺喜美も傍聴にやってきていた。
 公務員の天下り規制、渡り防止をうたってつくられる再就職等監視委員会の委員長人事について野党が不同意でいつまで経っても決まらないから、内閣総理大臣がこれを代行するという政令を昨年末に発してしまったのは独立した第三者たる機関を行政の長たる内閣総理大臣が代行することになるわけでおかしいではないかというのは仙谷由人の指摘通りである。
 昨年6月と11月に委員長と委員4名の国会同意人事民主党が反対して空席のままとなっている。つまり自民党は「それならすきにやる」とこういう手に出たというわけだけれど、これはもう霞ヶ関の思う壺。「霞ヶ関はわが内閣の敵ではありません」と断言した麻生太郎らしい暴挙だ。行政の長が判断するんだからなんでも霞ヶ関のいいなりになるに決まっている。それを平気でいけしゃぁしゃぁとやる男なんだ、こいつは。
 産経ニュースで屋山太郎が「115年ぶりの官僚改革を官僚の手に委ねるというのは正気の沙汰ではない。まな板の鯉に包丁を握らせて自分で捌けというのに等しい。(正論2009.1.9 02:54)」と書いている。産経にまでこんなことをいわれてそれでもわからないのか。
 「あんたが委員長になればいいじゃないか」としきりに最前列でヤジを飛ばし続ける自民党岩永峯一の程度の低さには、こんな奴がどさくさに紛れて農水大臣を勤めたのかと思うとあきれ果てる。今度の選挙で引退するそうだけれど旧態依然たる利権確保の三男・裕貴が地盤看板を引き継ぐ。こんな奴ばっかりだ。
 そういえば自民党二世議員首相連続就任記録でギネスを狙っているんだと誰かがいっていたが、となると次は誰だ?石原か?
 
 麻生鉱業炭坑の捕虜の話を最後にちょろっと出して質問を切る。

 捕虜問題については、2006年11月に米国の新聞(ニューヨーク・タイムズといわれている)が報道し、外務省は当時の麻生外相の指示によって在ニューヨーク総領事館のHPに「そういう事実はない」とする反論を掲載。また11月13日の参院外交防衛委員会でも質問され、麻生首相は「事実関係は確認されていない」と答えていた。
 今回、公文書が見つかったことで外務省もNY総領事館のHPに掲載していた反論を削除した。(日刊ゲンダイ2008年12月19日掲載)

 戦時中、日本の国内で多くの連合軍俘虜が多くの産業現場で強制的に労働させられていたことは事実であるが多くの企業は当時の法人と現法人とは異なる企業であるとか、記録が全く残っていないので認識できないとか、できるだけ伏せようとしてきたし、コメントをしないようにしてきた。
 私がかつて就労していた企業も当時俘虜が労働させられていた事実があって、私自身は全く知らなかった。ある日カナダからやって来た男性が捕虜としてその企業の工場労働に就役させられたが、当時のボーシンがかばってくれてペンキで絵を描くことを許してくれた、ついてはそのボーシンにあってお礼をいいたいとやってきたという話を聴いて、なるほど、うちでもそんなことがあったのか、とようやく気がついた。多分京浜工業地帯の多くの工場現場でもそんなことがあったのだろう。
 私が働いていた会社は「全く記録が残っていない」という対応をしたらしい。私だったらとことん調べて何らかをお答えしただろう。自分としても当時の記録に関心が高かったこともある。
 東海地方にあった工場では捕虜の話は聴いていないが刑務所の囚人が就役していたという話を聴いている。米国の国家反逆罪に問われた川北友彌の例を引くまでもなく、そしてB・C級戦犯となった俘虜監視人たちの例を引くまでもなく、日本は相当に俘虜を労働力として使ってきた。
 この話の一番の問題点は、ちゃんと調べればこんなみっともないことになることもなかったはずなのに、時の外務大臣が該当企業の親族であり、その指示で詳細を調査することもなく在外公館に否定コメントを書かせたというここにある。削除したからそれで終わり、という問題ではない。ここがわかっていない、そのことが問題だ。
 石破も二階も多分寝ていたな。