まだ2月も終わらないというのに、といってもあとこの一日だけだけれど、もう巷では卒業式だ。大学の卒業式というのは概ね来月下旬だろうが、高校は卒業式が話題だ。
島根県の高校では三年生全員に授業料を完納しないと卒業証書を出さないと書面で通達したという。多分未納の生徒だけに出すとそれがわかってしまうから全員に通達したのだろう。学校は経済的な理由で未納なのか、或いは経済的には問題はないのだけれど忘れているのか、或いは意図的にずぼらを決め込んでいるのか、判別がついているのだろうか。この辺の状況がこの種の報道に対して様々な思惑を生む。もちろん経済的な理由で収めたくても収められない状況に陥っている生徒の家庭に関してはなんらかの対応策を教育委員会も考えて欲しい。しかし、問題なのは意図的にずぼらを決め込んでいる場合なのだ。
義務教育機関の給食代の未納者はどうやら日常的になっているらしいし、保育料未納だって良く聴くようになってしまった。これはある意味日常的な生活能力の欠如が顕在化している例と捉えることもできるかも知れない。
京都では中学期間に不登校となった生徒たちを対象に中学の成績を問わない特別枠を府立の参考に設置し、今年初めての卒業生を出したというニュースがあった(2009年2月27日 読売新聞関西発)。
かつてはこうした生徒たちを受け入れてくれる高校は全国でも非常に限定的で、やり直したい高校生年齢の生徒たちは全国をあちこちに駆けめぐった。親も焦り、多くの悲劇が生まれた。
それだけそうした生徒に対する理解が進んできたのは確かだけれども、それはとりもなおさずそれだけそうした生徒の数が昔とは比べようにならないほど増えているということの証明でもあるだろう。