ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

いつもの木曜日

 通常2週間に一度出掛ける木曜日のレクチャーをとっているのだけれど、本来先週にあるはずが今週に一週間繰り延べになっている。ちょっと時間がたってしまって前回を思い起こせない、というところはあるのだけれど、出掛ける予定。
 昨夜はなかなか寝付けなくて、布団の中であぁでもない、こうでもないと考えてしまったものだから、今朝はなんだかすっきりしない。不思議なことになんの予定もない朝は早く目が覚めてしまってもそんなにぼぉ〜っとするということもあんまりないのに、こうした朝はなんだかぼぉ〜っとしている。
 大正時代はわずか14年ちょっとの間に内閣は12を数えるという。なかなか実感として捉えるのは難しそうだけれど、この大正期はもう少し詳しく振り返ってみるに値しそうだ。保阪のいうようにここのところこの期間について取り上げる傾向が増えているようだ。
 偕交社の機関誌ですら「社会主義自由主義でもなんでも学ばねばならない」という論調が見られるというのだ。
 しかし、若い研究者の中には明治をフィルターにかけて悪しき昭和を出現させたそうしたフィルターとしての取り扱い方をしようとする研究者に危険性を感じるという。これがなにを取り上げているのか、私にはまだぴんと来ない。
 西園寺公望三木武吉伊藤博文・・といった当時の重鎮は何人もの女性を身の回りにおいていたといわれているんだそうだ。西園寺に至っては生涯正妻を娶っていないが三人の女性を内妻としていたというし。他の人がどう説明をしていたのか知らないけれど、三木武吉は「3人も、4人も・・・」といわれて、それを否定して「いいや、5人だ」と笑うことなく訂正したという。これは倫理観の欠如なのではなくて「富の分配」のひとつの方法なんだという感覚だったのだというのだ。西園寺に至っては被差別部落出身者を捜してまで抱えたのだという。
 この話を聴いて思ったのは鴻池が調子に乗りそうだけれど、JRパスを使うようじゃ、とても同列には語られないな。
中江丑吉、山田良政・純三郎兄弟>
 外に出るとまた航空自衛隊の音楽隊が演奏をしていた。さすがにうまい。バリバリのプロフェッショナルなんだからうまくて当たり前か。
 中央線快速で東京駅に向かい、ブックセンターで文庫本と雑誌。銀座にまわって教文館週刊金曜日のバックナンバー。
 土曜日のイベントについて変わったことはないかと主宰者の事務所に立ち寄って帰宅。

志ん朝の走馬灯 (ちくま文庫)

志ん朝の走馬灯 (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

  • 探し中の本:
    • 中江丑吉の肖像』阪谷芳直著1991年(勁草書房
    • 「醇なる日本人—孫文革命と山田良政・純三郎」1992年 プレジデント社

4,500歩