ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

朝まで生テレビ

 折角、早めに眠くなることに抗してきて、ばたっと眠るように寝たのに関わらず、気がついたら午前2時半でやっぱり目が覚めてしまった。思わずテレビ音声をつけたのが間違いのもとで、今日は「朝まで生テレビ」が始まっていた。聞き覚えのある声が聞こえたのでとうとう画面もつけてしまうと今日のテーマは「ドーする!?あらたな貧困」だった。貧困は全然新たでも古いでもない。
 湯浅誠雨宮処凛森永卓郎大村秀章福山哲郎山井和則の面々がここにいるのはよくわかる。ところがここに金美齢やら板倉雄一郎が出てくる理由はいったいなんなんだろうかと思ったら、要するに「貧困は自己責任」論者として呼ばれてきたと思えばいい。
 「私も自分の企業が失敗して見返してやろうとしてここまでがんばってきた」と板倉はいうけれど、君のように地方の第一級進学校から中退したとはいえ上智大学に進学できる人生を送ってきたような目端の利く人たちばっかりが世の中にいると思っている人たちには理解できっこない。だまされちゃう、それでも暮らさなくちゃならないという状況にいる人たちのことに想像力を働かすことができない。それでもそこでそうした想像力を働かすことのできる人たちはいる訳で、それが湯浅であり、雨宮だと私は思う。それは現場を見ているかいないかの差でもあるんだけれど、そこに思いをいたすことができない人たちに発言する機会が集中していることは事実だろう。(追記:再放送を見たら、奴は「僕もスーパーリッチの一人なんだけれど・・・」なんていってやがんの。「僕もたいした教育を受けてはいないけれど・・・」ともいっていて、これじゃあの高校の出身者が怒るだろう?)
 森永の所得が多いのは多分事実だろうとは思う。しかし、所得が多い人間が所得の少ない人間の立場を擁護するのはずるいという堀紘一の表現は全くあたらない。一般的にいえるように金を持って自己保身に走る人間が当たり前にも関わらず、そうでない発想を持てることは重要だよ。
 田原総一朗の山井に対する決めつけ方は本当に腹が立つ。あぁ、やっぱり起きるんじゃなかった。
 国際競争力がなかったら日本の経済は成り立たず、それによって社会福祉というものは成り立たず国民の生活は成り立たないんだという過去に学習しない金美齢や松原のような発言に流されてしまってはいけないのだ。そのセリフでこれまで何回だまされてきたというのだろうか。その挙げ句に考えなくてはならないところをすべてさぼってきた。もちろん、これが民主党政権になったら本当に変えることができるのかという疑問はとても大きい。企業献金に頼ってきたら、彼らの利益を無視する政治はできるはずがない。だけれども民主党自民党と比べたらまだ既得権益にがんじがらめになっていない「かも知れない」という期待は持っても良いだろう。
 日本の企業が優秀だった時期というのは確かにあって、石油危機やらドルショックやらはさまざまな工夫を重ねて回避してきた。しかし、ついこの前まで日本の大手大儲かり企業群が「史上空前の利潤」を挙げて謳歌していたのは労働者の立場をおとしめることによって生み出してきた賃金を搾取した結果であり、それを吸い上げて内部留保していたはずだ。これは「工夫のない」企業努力、というか財界努力というわけであり、これに応えた自民党政権が生み出してきた政治的大失策の結果(反対から見たら大成功)だといって良いだろう。
 少なくとも森永がいうように現場の労働者の環境を革命的に劣悪たらしめたのはまごうことなく自民党、小泉ー竹中がやってきた企業のいいなり規制改革にあったことはもはや隠しようがない。これを国益というのだとしたら、国民の犠牲の上に企業が繁栄することを国益ということになるのだろうか。
 目端の利いた小賢しい連中が、器用に世の中を渡ることが不得手な連中の犠牲の上にあぐらをかいて良いように暮らすということがこの国の国益なんだということになるのだろうか。小賢しくない人たちは「残念!」なのか。
 それでもまだ自民党に投票するんだろうか。