ほぼ足りてまだ欲 その先

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ダム

 八ッ場ダム既得権益をめぐって民主党の建設工事中止検討とぶつかっている。建設中止反対派はそれぞれ関係する地方自治体が中心になっていて、マスコミを総動員している様子がテレビを見ているだけでも伝わってくる。「白紙の状態で来るんでなくては話をするつもりはない」と勢いに乗って叫んでいる。
 本当にどうするのがよいのか、今の日本に暮らしている私たちだけでなくて、これから先日本に生まれてくる私たちの子孫たちにとってどちらが正しい選択なのかを考えなくてはならない。
 この工事自体も有り体にいえば50年前の計画を立てた官僚の面子のためにここまで来てしまったといっていえなくもない。いやいや、まさにそれだといっても良い。しかし、ここまで引っ張ってきたのは一体誰なんだ、国であり、国土交通省じゃないのか、というけれど、じゃ、具体的にそれは誰なんだ、建設省の一体誰なんだと過去の計画経緯をひっくり返して考えてみることだってマスコミの役割じゃないのか。
 熊本の川辺川ダムについても論議されなくちゃならないのだけれど、こっちの計画は昭和41年のことでもう既に43年も経っている。
 どう考えたって、これだけ年数が経っていれば国政も、水に関する需要も下流域の状況も大きく変わっているはずだというのは誰が考えても当然であって、これをそのまま問題がないんだと漫然と既得権益の中で縛られるままに放置していたのは一体誰なのかといえば、自民党政権とそれによってバックアップされ、持ちつ持たれつでやってきた建設省の官僚たちであることは火を見るよりも明らかだ。
 それをごく当然に、見直して、いらないものに金をつぎ込むのはやめよう、といっている新政権のどこが責められるべきなのか、私には皆目見当がつかない。
 たかだか5-6年前の国会議事録をぱらぱらっとめくっていると河川法が改正されてから流域委員会なるものが作られもしないで、うろうろしている段階だというのに八ッ場ダムにも徳山ダムにもどんどん金をつぎ込んでいて共産党を中心にして追求されている。あの頃の国交省大臣といえば公明党の北側だけれど彼や官僚の回答は河川の整備計画がないなら河川整備しちゃいけないってことなのか、というものだったのを考えるとおふざけじゃないよ、といいたくなる。あんな姿勢で良いとしていたなんて、私たちは本当に自分たちの役割を放棄していたんだなぁと恥ずかしく、情けない。
 2005年02月25日の衆議院予算委員会第八分科会で北側国交大臣はこう答弁している。

現在、利根川水系では、近年の降雨資料の整理、解析を含めまして、必要な調査、検討をしているところでございます。私からも、早期の策定に向けてその作業を早く進めてもらいたいというふうにお願いをしておるところでございます。
 利根川水系というのは、委員も御承知のとおりに、大変流域が大きくて、流域の都県、関係市町村また関係機関、大変多いわけでございます。これらの関係機関との事前の協議、調整をしっかり行いまして、できるだけ早期に策定してまいりたいと思っております。

 この結果がどうなったというのだろう。この頃には工事はもう既にどんどん進んでいる。この回答が実に官僚作文なんだろうなぁと実に勉強になる。
 ちなみに北側の代わりに答えたりしているのは当時の国土交通省河川局長の清治真人である。清治真人は2006年に退官して2007年に札幌市長選挙に自民・公明推薦で社会保障よりも経済重視を旗印に立ち、上田文雄(535,023票)に対して362,154票にとどまり、172,869票という大差をつけられて落選(ウイッキペディア、および札幌市選管データーより)。
 追記:この日の第八分科会での日本共産党塩川鉄也の質問と北側大臣・清治河川局長の答弁は大変に興味深いので、ぜひ、ご参照願いたい。キャサリン台風の時の雨量をコントロールするのにこの八ッ場ダムは必要だといいながら、この計画ではまさにキャサリン台風がそのまま来たとしたらそれほど役には立たないんだと吐露している。

塩川:もともと八ツ場ダムをつくる理由の一つとして、治水の問題についてはカスリン台風の話がさんざん言われてきたわけですよ。ですから、カスリン台風みたいなものが来れば八ツ場ダムが大きな役割を果たすんだと言われていたのが、実際、国土交通省からいただいた資料を見れば、カスリン台風洪水に対応しての八ツ場ダムの洪水調節効果はゼロなんですよね。私、そういう点では、今までのそういう論拠というのは何だったのか、理由は何だったのかということがそもそも疑われるわけであります。

 私も疑ってしまう。
 02月28日の同分科会では民主党神風英男の質問に同じく清治河川局長が答弁に立っている。当初予算の2.2倍になる4600億円の予算になったのは1986年にできた基本計画以来の見直しを2003年にやって補償費用を見直したからだといっている。ずいぶんと悠長な仕事をして、それで平気でいられるという神経がわからない。路線価が発表されたり、経済指数が変化する度にこれだけの工事なんだから大きく変わってくるはずじゃないのだろうか。
 2006年03月01日の第八分科会で塩川はまた質問に立っている。この時は河川局長は渡辺和足に変わっているのだけれど、塩川は群馬県の森林は戦争直後の荒れた状態に比べたら今や回復していてそこのところは大きく異なっているはずだと指摘している。北側大臣は「森林面積は4200平方kmという程度で推移をしておりまして、大きな変化はないと聞いておる」と答弁した。
 しかし、塩川は1947年9月18日付の朝日新聞の社説を取り上げて林野庁のデーターを引いている。こんなに森林面積だって減っていたと。それがそれ以降大きく増えているじゃないかと。ところが渡辺河川局長は2002年11月に学術会議が出した答申では昭和22年当時と最近ではほとんど変わらないという資料があると答えた。ありゃ!?である。
 塩川はよく調べてきていて群馬県林業統計書の中に、山林面積と同時に森林の蓄積量が出ているんだけれど、昭和26年はこの森林蓄積量が群馬県の場合1,349万立方米なのが平成十年では7,262万立方米と大きく成長しているじゃないかと指摘している。河川局長は貯留関数法でやっていて、結果は同じだと突き放している。つまり河川局長は塩川の質問に答える手立てを持っていなかった。
 渡辺和足は堂々と財団法人「ダム水源地環境整備センター」の理事長におさまっている。この財団法人の常任理事三人は山口智(元国土交通省大臣官房付(財団法人「民間都市開発推進機構都市研究センター」研究理事)、熊谷清(元国土交通省国土地理院参事官)、棚橋通雄(元国土交通省土地・水資源局水資源部長)だというわけで立派この上ない天下りだ。
 「しんぶん赤旗2005年10月6日」によれば「設立の際の基本財政10億円のうち、8億円をダム受注のゼネコンやメーカーなどが出資。職員も70人中50人がゼネコンからの出向者で占めている」ということで話は実にわかりやすい。
 当時の北側国交大臣は「この財団法人、こうした専門的なことを調査していく、そういう財団法人に役人のOBの方々が行かれるということ、これを全く否定してしまう、それ自体が全く悪いと、それはいかがなものなんでしょうか。そこは私とは全然認識が違います。やはり現職時代に培った経験というものをやはり有効にその財団法人等で活用していくことも大事でございます」と居直っていたのは今から考えると渡辺和足の支援だったということにでもなりそうなり。
 マスコミはこうした事実をきちんと伝えながら地元の声をも伝えていくべきだろう。
 ちなみに前社民党衆議院議員保坂展人こちらにもこんなことを書いている。