ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あの歌

 敗戦記念日の今日、街中を今日こそ正々堂々と、という雰囲気でいわゆる「右翼」の街宣車がぐわぁんぐわぁんの拡声器で鶴田浩二の「古い奴だとお思いでしょうが・・」ではなくて「きっさまとおれぇーとぉ〜はぁ〜」の同期の桜を流しながら何台も通り過ぎる。それでなくても暑いのに、ますます暑くなる。
 ところでなんであの歌を流したがるのだろうか。「咲いた花なら、死ぬのは覚悟、見事散ります、国のため」が格好良いと思っているということなんだろうか。
 だけれども、二番は「血肉分けたる 仲ではないが なぜか気が合うて 別れられぬ」で、別れられないっていっているんだから、死ぬのはいやだよぉ〜と正直なんじゃなかろうか。
 でもって、三番は「仰いだ夕焼け 南の空に 今だ還らぬ 一番機」となっていて帰ってこない僚機を案じて不安な表情で空を見上げている様子が窺える。
 四番になると「あれほど誓った その日も待たず なぜに散ったか 死んだのか」とあってなんで死んじゃったんだと戦死した同僚に思いを寄せて、死んじゃいかんといっている。
 この歌は昔の歌らしくて五番まであって「花の都の 靖国神社 春の梢(こずえ)に 咲いて会おう」と締めていて靖国の桜となってあおうね、と言葉を贈っているわけだ。
 昭和19年頃の流行だったというので、メロディーとともに、若い影響を受けやすい少年少女の洗脳に大いに役立ったのだろう。60年以上にわたって洗脳を続けることができたあの時代の仕組みはさすがなものである。なにしろ全員で竹槍で一人一殺すればこの戦争に勝てるんだぞと吹き込み続けることができたからである。どうしてそんな論理に全体が流されてきてしまったのだろうか。