ほぼ足りてまだ欲 その先

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口蹄疫

 宮崎の口蹄疫は収束したんだといわれているんだけれど、じゃ、一体どこからどの様に始まり、何が要因であれだけ拡がって、種牛まで失う結果となったのか、という検証はどうなっているんだろうか。臨床的にどう処理し、どう対応ができたのかというあたりは、一番残った人間にとって語りやすいところだし、一番劇的に語ってしまったりできるところなんだけれど、なにゆえこれだけ蔓延してしまったのかをつぶさに検証することは次につなげることができる。
 ところが、これが一番いやな作業であるだろう。これをやっていくと、誰がどの時点で、どんな判断をしたのかを追求していくことになるからだ。某牧場、水牛、チーズなんてキーワードが飛び交った時期があったのだけれど、それが何を意味するのかということについては公にはされていない。発見して疑問に思ってから、それを報告するまでにどれほどの時間が経っていたのか、そしてその間にどこまで蔓延したのか、辛い作業には違いないが、これをしなかったら、次にこんな事態が発生した時に、また同じミスを起こす。過去に学ぶというのはこういうことで、それには痛みも充分伴う。

 私たちはあの戦争から65年の間に、殆どキチンと検証をすることをしないできてしまったことも、そうした習性の結果かも知れない。満州での軍事行動が拡大していった背景には誰の意図的な逸脱があったのか、明確にする必要がある。これは死んだ人間をどうするという話ではない。残った私たちがどんな歴史を作っていくかの問題だ。
 その点ではイラクに対する米国の軍事行動を支え、支援を実行すると判断したその要因は一体何だったのかについても検証する必要がある。今私たちの国が置かれている現状からいったら、みんなしてサダム・フセイン専制君主的国家作りは潰しておくべきだったわけで、それに参加しなかったら同盟の一員として無視されてしまい、北朝鮮に拉致された人びとを取り返すための支援を得られなかったから仕方なかったのだ、というのであれば、それでも良いだろう。
 しかし、なにも検証しないのであれば、なにも過去に学習することのない、はなはだ刹那的な国家だというしかないだろう。
 これではリーダーが「どこが戦場なのかなんて、この私にわかるわけがないでしょ!」と居直って、「箔がつくから」出掛けたがる人たちを派遣してしまったんだ、と後にいわれても反駁できない。国会の議事録に残った建前だけでよい、というのであれば、それでも良いけれど、そりゃつまらん国にしかならないな。