ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

村上春樹

 前々から申し上げているように、私は全く小説というものを読まない。いやいや、それは嘘で、昔は小説を随分読んだのだ。昔といってもそれは相当に昔で、多分一番小説を読んだのは中学生時代ではないかと思う。高校時代はどうだったかというと、ひょっとしたらSFマガジンとある種の私小説以外は読まなかったかもしれない。とはいえ、中学時代も、高校時代も学校の図書室(図書館というほど大きくはないものだ)からできる限りの図書は借りだしていたことは事実だ。当時は個人カードなるものがあって、そのカードと図書の中に入っているカードとに記録して借りだしていたと思うのだけれど、毎年その個人カードが二枚目に突入していたことをかすかに覚えている。
 大学に入ってからは殆ど図書館に入ったことはなくて、あの重たい扉をガラガラと開けるのが面倒だった。30年後にもう一度その学校に通った4年間は両方のキャンパスのいくつもの図書館を踏み倒さんばかりに利用したけれど、およそ小説と名のつくものは一冊として借りだした記憶がない。そもそもあの大学の図書館はあたかも学生に書籍を貸したら二度と返ってこないと思っているらしくて、毎年年度終了の何週間か前から貸し出し禁止にしてしまうという愚挙に出るのだ。その前に一年だけ在籍した大学では返却が遅れると一冊につき、一日10円という罰金を取る。退学するといったら、図書館からなんの問題もありませんという了承印を取ってくるようにいわれた。つまり、最後に精算する、という考えだった。その上、その図書館はすべての書架が開架で、どこかの大学のように学部生の閉架への立ち入りを制限するようなことはしていない。つまり、とことん図書館を利用し尽くすのが大学生の本分であるという前提に成り立っていた。
 そんな図書館が目の前にあっても、文学の棚の前に立ったことがなかった。
 それがある日、Amazonを見ていたら「少年カフカ」という漫画本のような装丁の本を見かけた。それが村上春樹の「海辺のカフカ」に関するもののようで値段も千円しなかったから思わず「その村上春樹ってのはどんなものか」とポチッとしてしまったのだ。届いてみると490頁になんなんとする厚さで、中身はその小説を刊行した時に村上春樹が公開したサイトに届いた読者からの投稿と、それに対する答え、あるいは彼のインタビューなんてものから成り立っている。これじゃ、その肝心な「海辺のカフカ」なる小説を読まなきゃ、この本を買った意味がない。
 それでとうとう、生まれて初めて村上春樹の小説を買った、という顛末なんである。だからこの場合は小説を買ったということにはならずに参考資料として手に入れたといういい方の方が正しいことになるわけだ。驚くべきは「海辺のカフカを精読する」という新書まで出ているという。

少年カフカ

少年カフカ