ほぼ足りてまだ欲 その先

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民営化 ころっと騙された

 JRが新幹線にグリーン車の上にファーストクラスを作るんだそうだ。JRは金持ち相手の鉄道会社になってしまッたんだから、その面目躍如ってところだろうか。そうやって金持ちから取れるだけ取って下々のサービスに廻すというのであれば、なるほどね、と思うけれど、その辺の路線は三セクに押しつけてしまって、それは結局破綻。しかし、民営化ってのはそういうことだ。さもなかったら金のない人たちの移動のために国民全員から税を徴収して突っ込むことになる。つまり、この体制の原理は一般市民はなけなしの金を差し出さなくては移動もできないということだ。
 郵政が民営化された時に、この辺のことは随分議論された。されたけれど、自公小泉・竹中体制は国民の議論なんてどうでも良くて、金持ちが儲かればそれで良い。アメリカ資本が自由になる体制ができれば良かった。私たちはどうして、そんな動きを受け入れてしまったのだろうか。私たちひとりひとりがいつの日にかこうした民間企業体となってしまったインフラストラクチャーのサービス提供者から三行半を突きつけられないとは限らないのに、である。民間企業であるのだから当然金の切れ目は縁の切れ目で、もちろん金がなくなればそのサービスは受けられない。はなはだ残念なことに、金がなくなってくると暮らす地域はどんどん安いところに流れていく。安いところというのはなにゆえ安いのかといったらそれは不便だからに違いない。つまり益々、そういうサービスからは遠ざかっていくことになるのだ。
 そういう危険性を持っているにも関わらず、なぜ私たちはそんな体制に移行するのを座してみていたのだろうか。
 もちろん、私だけはそんな境遇になっていくわけがないと思っていることもあるだろう。つまり危機意識が欠落しているってことだ。しかし、もっと決め手になることがある。
 それを知ろうとした時の私たちの情報源は一体なんだろうか。多くの場合、テレビであり、ラジオであり、新聞であった。つまり、いわゆるマスコミは多くの場合、私たち一般庶民のものであった。暮らしの手帖の日常版であった。しかし、考えて見ると、彼等だって民間企業で、広告を出してくれる営利企業が依って立つところであるし、許認可を与え、情報を与えてくれるのは政府行政機関だったのだ。
 つまり、私たち、一般消費者の立場に立って情報を与えてくれる機関というのはこれまで存在しない。これは実際驚くべき話で、組織化されない消費者というのは孤立し、本当のことは知らされないままこれまでの行動がどうだったのか、今後のことをどう考えているのかという点もちょっと怪しいまま暮らし続けているのである。
 こんな簡単なことはない。教えないんだもの。知らさないんだもの。
 民主党政権になって、何でもかんでもボロボロ出てきちゃうのは、自公によって相身互いとして支え合ってきたマスコミと霞ヶ関が民主・国民新党の与党に対して、造反しているからに相違ない。
 尖閣なんてくだらない問題によってこんな大騒ぎになるのは、霞ヶ関もマスコミも自公に義理立てしているからに相違ない。人間誰しも美味しい仕事は大事にする。
 今や、警察、検察を初めとして裏金をくわえ込んでいない公的機関はないのだから民主党は早晩骨抜きになるだろう。私たち非公的存在たる一般庶民はこのままでは良いように食いつぶされ続けるのだ。
 海上保安官はどうせ一般大衆に呼びかけ行動を促すのであれば、そんな大したこともないビデオではなくて、こっちだったらばジャンヌ・ダルクたり得たのだけれど、これでは奴はただのおたく以外の何物でもない。書類送検せよ。