たまたま新聞の訃報を見ていたら今月中旬に昔の勤め先の元役員だった人が載っていた。大した期間ではないけれど、広報担当を勤めていたことがあって何度かインタビューに立ち会ったことがある。器用な人ではなかったけれど、嘘のつけない人で正直に応対をするから、新聞記者からは信頼をされていたし、話を聴きたがる人も多かった。当時、他の本部を統括していた同じような役員連の中でも真摯に向き合っていた人の一人だった。中にはテンから新聞記者には逢わないと決めつけ「逢ってなんのメリットがあるというのだ」とうそぶく人もいたという環境の中では前向きな取り組みをしてくれた。
一線を退いてからは関西の系列会社の社長として赴任していたけれど、丁度御巣鷹山の日航機墜落事故の犠牲者の名前が一文字違いの人がおられて、私は焦って翌朝早朝に出社して、ご本人の所在を確認した記憶がある。
今年は当時の役員をした人たちの中で3人の人たちが他界しておられたのをネット検索で発見した。まさに80代中頃に達する世代だから仕方がないのだろうが、戦争中に20代前半だった世代でかなりその余韻を残した人たちだった。3人のうちの一人は海軍兵学校の出身だといっていたものだ。ひょっとしたらもっと多く元上司が亡くなっている可能性がある。
ついでに(といったら間違いなく、大きな声で文句を言われるであろう)尊敬する元上司の名前をググってみたら、私よりひとまわり上にもかかわらず、今でもあちこちの大学で講師をしていたり、企業経営者の人たちに対する講演をしていたり、何冊もの著作を刊行しているのを見て、驚いてしまった。如何にもあの人らしくて、凄いなぁと感嘆。