ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「ひ」と「し」

 東京の下町に暮らして37年目に入った。この界隈に育った人間の喋りことばというのはちょっとニュアンスが違っていて、横浜生まれの私には真似のできないところがある。しかし、普通に聴いていたんではその辺のことは気がつかない。
 うちの連れあい、つまり嬶(かかあ)なんぞは生まれは確かにこのあたりだけれど、両親は山梨から出てきたわけで、生前二人と話していると静岡のことばに近いイントネーションやら語彙が出てくる。今の国道52号線が塩の道となっていたわけだから、その辺のことばが共通項となってきたことにはなんの異論もない。このふたりは最後まで山梨イントネーションをボロボロと使っていた。そんな両親に育てられたのに、うちの嬶は「ひ」と「し」の区別ができない。できないというよりも、無意識に話していたらそんなところはすっ飛ばしているといった方が良いだろうか。テキストにすると「あさっしんぶん」といっているようだ。「あさひ」で区切っていってみれば、そのあと「しんぶん」といえそうなものなのだけれど、そのあとが「ひんぶん」と出てきてしまう。しかし、他は別になんということもない。「しゅじゅつ」といえないことぐらいか。「しゅじゅちゅ」になってしまう。
 何度も書くようだけれど、「白髭橋」と入力するところを「しらしげばし」と打ち込んで変換しないといってワープロのせいにする知り合いを見ていると、考え込んでしまうのだよ。
 毎年祭の時には前に住んでいた町会に出張っていっては宮神輿がくるのをワクワクしながら待っているのはいつまで経っても変わらないけれど、去年はそんな時にその町会の婦人部のおばさんに久しぶりにご一緒して「お元気ですかぁ!」と話しているうちに、そのおばさん(といっても私達よりは歳上だ)が「あぁたのことばは懐かしいこのあたりの話し方よねぇ!」と今更ながらにうちの嬶にいっていた。それを聴いて私は驚いたのだ。そうかなぁ、いつもと変わらないけれどなぁと。つまり、地のことばか、血のことばか、といったら当然の如く地のことばなんである。英語圏に幼くして移住した日本人は、上下の歯のかみ合わせがもう既に日本人のそれではなくて、英語圏のそれになっている。
 私が意識して話すと、これがなんと落語の登場人物の喋り方になってしまって、わざとらしいっちゃありゃしない。その代わり、落語風に喋れとか、歌舞伎のセリフ調で喋れ、といわれたら嬉々としてやっつける。いやな奴だ。