ほぼ足りてまだ欲 その先

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その先

 NHK BS世界のドキュメンタリーの今朝0時からの放送は、「放射性廃棄物はどこへシリーズ」三夜連続放送の3回目。 2月16日に放送されたものの再放送で、フィンランドのプロダクションが制作した「地下深く 永遠に」だった。この番組は「100000年後の安全」というタイトルで、渋谷・アップリンクで上映されている(10:15/12:00/13:50/16:45/19:00)。
 震災直後にこの放送が既にされていたことは象徴的ではあるけれど、多分落ち着いて受け取られる状況ではなかったであろうことが想像される。

 昨日の記者会見で菅直人総理大臣は「緊急的な安全措置が講じられ、安全性が確認されれば稼働を認めていく」「より安全な活用の仕方がきちっと見いだせるなら、原子力をさらに活用していく」と発言している。
 大変に大きく矛盾したスタンスであることが明白で、突っ込みどころ満載なんだけれど、ここでこの発言をすることが何を意味するだろうかと菅内閣は本気で検討をしたのだろうか。

 震災から2ヶ月間にこうした施設がこの環太平洋火山帯、つまりプレートの沈み込み上に存在する(つまり、こうした際だからこそ形成されている)列島に設置すること自体が危険きわまりないのだということが、賢明な知識を持ち合わせていれば、考察できるはずだ。それを敢えて、「安全性」「安全な活用」が見いだしうると考える姿勢を示すのは如何なものか。

 フィンランドの状況はそんな時点をとっくに通り過ぎていて、原発を動かし始めたときに解決を見いだしえなかった放射性廃棄物の処理方法が結局何も進展することなくここまで来てしまったことを反省して、その廃棄物をどうするかで、大変にざっくばらんな、それでいて将来を見据えた議論をしてきたことがわかる番組に仕上がっている。
 オルキルオト島に世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、18億年前の固い安定した地層の岩を削って作られる地下都市のようなその巨大システムは、10万年間保持されるように設計されるという。廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。
 しかし、問題は将来の人類が果たしてこの施設を正確に判断することができるのかどうかという点にある。すべてが無害となるまでの間に、この施設を開けてしまう様なことがあったら、地球上に及ぼす影響はとんでもないことになる。この場所が全く見つからない様にするべきなのか、あるいは最初から分かり易いところに分かり易い警告を掲示するのか。簡単に考えると警告が掲示してあれば良いではないかという結論になりそうだけれど、果たしてその時点で存在する人類にそれが理解できるか、という疑問に対しては誰も補償することができない。
 エジプトのピラミッドだって、ひょっとするとなにかの警告があるのかも知れないけれど、実際にはこの人工構築物が何を意味しているのか、正確にわかっているとは言い難い。それなのに、現代の人間はそれをここまで掘り進んでしまった。早稲田大学の先生は「見付けた!掘った!」と単純に喜んでいたけれど、それが何を意味するのか彼はわかっていたのだろうか。

 彼等が議論しているのは原発の安全性がどうとかこうとかではなくて、産み出される放射性廃棄物をどうするというのかという点である。情けないことにわが国では議論がそこまで到達していない。ひょっとするとわが国の文化フィールドはこのポイントまで到達するのは難しいのかも知れない。
 それはなぜかというと国民生活を考える基本的な出発点が「安全」にあるのではなくて「金」にあるからだ。
 いっておくけれど、この場合の「安全」は「金」では買えない。「金」を産み出そうとすると「安全」を棒に振る。しかし、棒に振って良い「安全」ではない。人を陥れても良いという価値観から考えれば話は別だ。