ほぼ足りてまだ欲 その先

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昨日のショック

 ご自分の家族は既に他県に引っ越しをしているのに、ご自分は仕事の関係で福島県に残っている方が、「今自分が原子力発電所に反対をしても、福島第一原子力発電所の解決になんの役にも立たない」と仰る方に遭遇したのはちょっとがっかりだった。いや、「がっかり」というのとはちょっと違っているかも知れない。
 もうこんなことが二度とおきて欲しくない、なにしろシステムとして未完成なまま動いている発電方式なんだというところに興味がないというその人のスタンスは、さすがに私の理解を超えていた。
 じゃ、福島第一原発の解決にはどうしたら良いのかという模索する上で何か動くのかといったら動くことはない。動けないからだろう。いざという時になったらどうするのだろうか。「仕事がありますから」という反応が返ってくるのかも知れない。オウムのサリンの時に多くの東京で就業している人たちはそうだったと思う。私自身もそうだった。
 それでハタと考えてしまったのは、今の福島第一原発の解決の根本的なポイントは一体どんな作業によって解決されるのだろうかという点だ。メルトダウンして核燃料が多分核融合炉の底にひとかたまりになっていると思われている。これをどうやって解決するつもりなのか。周りを掘って、コンクリで固めてしまうのか。それにしてもその掘削作業はどうやってやるのか。コンクリートの打設はどうやってやるのか。まったく想像ができない。なにしろ放射線量はとんでもない値になるのだろう。ひょっとすると何もしないうちに重く被爆するということか。そうかといってずっとこのままにしておくわけにもいかない。そうしたらこの先何百年も何千年も何万年もこのままになる。
 なにしろ「絶対安全」だからこんなことになるわけがないから、対策なんて考える必要がなかったのだと本気に考えてきたらしいのだから、誰もシミュレーションをしていない様なのだ。こんな業界なんだとは本当に思いも寄らなかった。けれど、それをそのまま信用していた自分の責任かも知れないのだ。なにしろ、自分の味方は自分しかいない自由主義資本経済の中だから、当たり前のコンコンチキなのだ。
 ちょっと油断したら平気で自分の糧の半分でも8割でも持っていかれてしまう世の中なのだから、こんなだまし討ちなんてあるわけがないと思っている自分がノー天気そのものなのだ。
 とすると、どんな運動をしても今の福島の解決にはならないと断言するのも、あながち責められないのかも知れない。これから先、システムの未熟さを解決できた、その時になって初めて原発というシステムを復活させればいいのであって、そうでない以上これの運転はやめておくれ、という行動はそれで完結していて、今の福島第一原発の解決には関係がない。
 だから、こんな面倒なことを引き起こした原発の運転に反対してもおかしくないと思うのだよ。