ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

河野太郎

 今更始まったことではなくて、河野太郎のブログ(こちら)やtwitterを読んでいると、彼はもうすでに自民党の枠を遙かに超えていて、「人間性に基づいた政治概念」を構築していることがわかるのだけれど、それでいて、石原伸晃や大島某が大手を振っているあんな利権追求集団から脱却しようとしないのはなんだろうか。
 私達の心にも、未だに自民党は腐っても鯛で、あの党から抜けた連中はどれもこれも眉唾物なんだけれども、自民党に残っていれば、まだ少しはマシなんじゃないかという概念が残っているからなのではないかという気がしないでもない。
 その証拠に「たそがれ日本」を重く見ている人がいるだろうか、舛添要一の「新党改革」なんてそらんじている人がいるだろうか(私は思わず今「新党」だけで検索してようやく思い出したのだ)。渡辺喜美の「みんなの党」くらいはまぁまぁかと思っているかも知れないけれど、なにしろあの渡辺喜美自身を、オヤジを含めて、本当かよ?とかなり斜めになって見ている。
 だから河野太郎自民党を出た時の彼の行動は難しい。今集めている信頼をどこまで保持し続けることができるのかという難しさがある。自民党は彼をどう捉えようとしているのか。「自民党の良心」としての重みは大きい。とても恥ずかしくて、悲しいことであるが、自民党というのはその程度の政党だった。何が悲しいかというと、こんな政党に半世紀近くも牛耳られていた国民だったという意味である。
 私は河野太郎はもうこんな民主主義の根幹をいつまで経っても判ろうとすることのない国家に縛り付けるべきではないと思う。彼は国連総長になるべきだ。そして走り続けて欲しい。そうすることによって、少し位はこのいい加減な国に対する世界の見方を謀ることができるかも知れない。つまり、没落の坂を一気に下る速度を、少しでも遅くすることができるのではないかという淡い希望なんである。
 うん、これはよいアイディアかも知れないな。