こんなに放射能の汚染が進んでいるのに(そうじゃない、と仰る方は東電の方と霞ヶ関の関係者の方のみならん)私は避難するという気が全くない。ま、それはもう60代だからというのはあるけれど、それでもこれから様々な放射能による影響が身体に出てくることは考えられることではある。それによって私自身の寿命が短くなるのはどうでも良いけれど(本当に良いかどうかはもうちょっと考えたいけれど)、様々な支障が現れて自分が面倒なだけじゃなくて、それを周りの人々が放って置くわけにも行かなくて、ご自分のやりたいことややらなくてはならないことをそのままにして、私をケアしなくちゃならなかったりするのが、居たたまれないってことになるだろう。
じゃ、なんで避難しないのかといったら、それがどうも面倒だ、という気持ちが先に立つ。自分に身体的、あるいは精神的なダメージが加わるんだから、そんなことをいっている場合じゃないというのに、「面倒」なんである。
もちろん、行政が「もう危ないから、皆さん、逃げてくださいっ!」というんだったらなんもかも置いて逃げるにちがいない。しかし、今、この環境をぽいっと投げ出して逃げるかといったら、逃げないのだ。人には「若者と子どもは逃げろ!」といっている癖に。
だから多分、その「若者と子ども」も面倒なんだろうなぁ。実際にどんなことになるのかという知識もないし、国も「直ちに危険とはいえない」といって緊迫感もなんもない。なんとか風邪ウィルスを持っている人が見つかったからといって成田で飛行機のお客を隔離した、舛添の時の方がなんぼか緊迫していた。
本当かどうか知らないけれど、東電や霞ヶ関の連中は家族を海外に逃がしたんだという噂もとんでいる。にもかかわらずそんな緊迫感もない。
ある意味ではプルトニウムを一生懸命に推進した福島県の佐藤雄平知事や、九電のために仕事をしている佐賀県知事の役割を知っていながら、そのままにしているのとどこか通じるものがある。
そうそう、先週血液検査をしたから、その結果をお伺いする時に白血球のことを聴いてみようと思っている。