ほぼ足りてまだ欲 その先

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責任

 新宿に行く。
 米国が最初に原爆の開発に成功して、それを広島に投下したのが人類が人類を対象に殺戮兵器として核爆発を使った初めてのケースであることは間違いがない。
 それではこの殺人兵器を実際に使用した責任は一体誰の手にあるのだろうか。投下のボタンを押したB-29の爆撃手なのか、それとも彼を含むB-29「エノーラゲイ」の搭乗者11名なのか。それとも彼らに出撃を命じた司令官なのか。あるいは時の元首たるトルーマン大統領なのか。はたまた製造を命じたルーズベルトなのか。あるいはマンハッタン計画を発想し、予算化をし、組織を構築して研究を奨めたものの手にあるのか、あるいはその中で製造に踏みきった決断をしたものにあるのか。
 どう考えてもボタンを押したその爆撃手が負うべきものではないだろう。では、投下を命じた司令官にあるということだ。イヤ、ちょっと待て、それは新兵器として敵に無差別にダメージを与えることができる新兵器が完成していなかったら、彼はそれを行使することあたわなかったわけではないのか。
 とすると、製造に踏みきった決断をくだした奴がいなかったら、完成することもなかったことになる。となるとマンハッタン計画を起案した人間、そしてその研究計画を立案した人間にそもそもの責任というものがやはりあるということになるのではないのか。
 という点から考えると、日本の陸軍が行っていた二号研究でいえば、仁科芳雄はそこを意識してわかっていながら、陸軍からはやいのやいのといわれながら「やらない」のではなくてを「できない」通しきったということではないのか。ドイツの研究開発でもヴェルナー・ハイゼンベルクが果たしたのはそういう役割だったのではないのか。だから、彼は亡命しないという意思を持っていたのではなかったのか。
 というのが今日の大変面白い視点だった。思わずうんうんと頷きながら90分間、聴き入ってしまった。他にも面白い話があったけれど、今すぐ思い出せるのはやっぱりこれだ。
 NHKの日本の原発の歴史でも出てきた話であるけれど、湯川秀樹原子力委員会の委員だったかになった時に、まず基礎研究を固めるべきだと主張したけれど、委員長だった正力松太郎が、なぁにハードは外から買ってくれば良いんだとごり押しだったから直ぐにでも辞めようとした。しかしそういうわけにはいかないと一年間だけであとは降りたといわれている。その姿勢が第一世代たる仁科から第二世代としての湯川に引き継がれていたと見るべきではないかというのがもうひとつの話である。