ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NHK-FM三昧

 今日の「三昧」は「GS」だったものだからツボにはまってしまって離れられない。なにしろ今はNHKの場合は「らじるらじる」のネットラジオで聞くものだから、音はどんなラジオで聴くよりもくっきり聞こえてきてしまって、どんな古いバンドのどんな局でもくっきり聞こえてきてしまう。こんなベースを弾いていたのか、という感慨もあり、なんだこんなSEが入っていたのかと気がつくものも多い。それにしても、あの頃の曲は一曲がとても短いから油断してるとあっという間に終わってしまう。
 そして往年のプレイヤーが録音メッセージの形で出てくるのだけれど、もうみんな老けてしまっていて、どこの爺さんがやってきたのかと思うほどだけれど、そりゃしょうがない。みんな60代になってしまっているんだもの。
 あの頃ウェスト・コースト・ミュージック・シーンにかぶれていた私は「GSなんて」と馬鹿にしていたのだけれど、今になってみると、私にとっての「懐メロ」の筆頭で、どこかで何かを歌わせてくれると聞いたら、すぐさまビートルズか「GS」を歌うんだけれど、ついてきてくれる人が少ない。何しろ全編、詩が日本語で覚えやすいっていうことは重要なんだよなぁ。だから、桑田があの時点で出てきて受けたのは遅かったくらいだ。私たちはそれでも確かに1960年代の終わりに日本語で作るロックをやっていた。その中から何人か、時代を引っ張った人たちが出てきたけれど、私はたったの4曲しか作っていない。もう全部忘れてしまった。
 甘くて切なくて、未熟な歌をことさら作ってファンの女の子受けを狙っていたヒット曲メーカーたちにも罪はあるかもしれないけれど、実は彼らのライブに行くと、結構やりたくてしょうがなかった洋物をやって見せたものだ。The Golden Cupsなんてのは元は横浜・本牧麦田のトンネルの向こうにあった同名の店で不良相手に不良が歌っていたブルースを得意とするバンドだったから、池袋のDrumでは彼らがブルースを演奏すると大拍手で、コマーシャリズムばりばりの売り出し歌を演奏するとみんなが思いっきりブーイングだった。
 The Spidersも私は銀座のACBでよく聴いたけれど、ブリティッシュものを得意としていたのはムッシュのせいか。ビートルズをやってはいたけれど、それほど全編ビートルズではなくて、ブンブンやヒッピィヒッピィシェイクあたりをやっていたのはもちろんムッシュの影響だろうか。田辺昭知は白木秀夫の流れをくむドラムだったようだけれど(実際にステージに白木が来て10分以上ソロを叩いたことだってあった)、実はそれほどうまいドラムじゃなかったから、今になって再結成ブームでも出てこないのはそれで良いんじゃないだろうか。彼はどうも走り気味なのだ。
 彼らはThe Ventures大田区民体育館でコンサートをやったとき、その前座で湯原昌幸とThe Swing Westと一緒に演奏した。私たちは拍手で迎えたけれど、The Ventures目当てできている観客のほとんどは彼らを知らなかった。