ほぼ足りてまだ欲 その先

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愚かなり、産経新聞

産経新聞2012.8.3 03:28「主張」

 「原子力規制委 田中氏でどこが悪いのか」

原発の安全性を確認した上で、その再稼働を進めるためにも原子力規制委員会の速やかな発足が不可欠だ。

 野田佳彦政権は規制委の委員長候補として前原子力委員会委員長代理の田中俊一氏を提示し、国会で同意が得られれば確定する段階にある。

 田中氏は1日、国会の聴取で安全規制に関する所信を表明した。だが、脱原発を掲げる民主党議員の一部が人事案を出し直すよう政府に求めるなど、早期決定は楽観できない情勢だ。
 安価で安定した電力の確保は国の責任である。そのためにも大多数の原発が停止したままの不自然な状態からの脱却が肝要だ。野田首相は、民主党内の意見分裂で規制委の発足を遅らせるような事態を招いてはならない。
 田中氏の所信は、原子力安全文化の再構築を厳正に目指す内容といえる。原発再稼働の判断基準については「技術的な点で精査が不十分だった可能性がある」とし、規制委で慎重に確認し、評価する必要性を打ち出した。
 また、原発の寿命に関しては、「40年を超えた原発は厳格にチェックし、要件を満たさなければ運転させない姿勢で臨むべきだ」とも述べている。
 この所信のどこがいけない、と言うのだろうか。難色を示す意見は、田中氏が日本原子力研究所副理事長などを務めていた経歴をあげつらうことに終始している。
 「原子力ムラ」の一員という烙印(らくいん)を押す態度は公正を欠き、民主主義にも反するものだろう。
 原子力規制委員長は、平時の安全規制だけでなく、非常時の事故収束にも重い責任を持って対応する職掌だ。原子力について現場で通用する技量と知見を身につけている人でなければ務まらない。
 高い独立性と強い権限を法律で付与された原子力規制委は、後ろ向きな「規制のための規制」を行う機関ではない。安全を強化しつつ、国家の要請に応えるための規制に身を挺(てい)することができる委員で構成されるべきである。
 所信聴取で田中氏は「日本のために身を投げ出すべきではないかと思い、就任を決意した」と語った。実力と決意で氏に勝る適任者はいないのではないか。
 今冬の電力不足を回避するためにも、機能停止中の原子力安全委員会に代わる規制委の9月発足を確実に実現してもらいたい。

 
 安定した安価な電気の供給は安全の犠牲の上に成り立っていてもかまわないという、これまで通りの間違った認識を改めることのできないこの新聞社はもはやジャーナリズムというカテゴリーに入れて考えたのでは間違いなのだ。
 田中俊一という人がどんな経歴を持ち、それはこれまでどんな役割を果たしてきたというのか、という観点を全く無視し、騙されてしまうことによって自らの責任を放棄する彼らに公器としての資格はもはやない。某宗教団体があたかも公器の如くに発行している新聞と何ら差はない。北朝鮮体制と五十歩百歩である。