ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 今日は昼過ぎから雨になると天気予報がいっていたのだけれど、朝遅くに目が醒めるともう既に降っていた。昨日の深酒が祟って、なかなか酒が抜けず、息まで酒臭いと連れ合いに云われるものだから、風呂に入って、水気をたくさん取ってから、昼過ぎの蕎麦屋の二階の落語会に出かける。
 十一代目金原亭馬生師は今の銀座中(かつての中央区立第一中と第二中が1984年に合併して開設)の出身。「銀座中」とは随分派手な名前だ。私と同じ歳だから、彼もめでたく「高齢者」の仲間入りで、この会は中学の同級生がやっていてこの蕎麦屋「銀座・満留賀」も小・中の同級生。同じテーブルに子どもの頃から近所だったという方がおられて、小学校へ上がるまでは馬生師は近所で「しょうご」と呼ばれていたんだけれど、本名「佐竹守」とは全然繋がらないという。本人に聞いても「なんであぁ呼ばれていたんだか」というのである。何かきっかけがあったんだろうけれど、なんだか誰も覚えていないという。小学校に上がってから先生から「佐竹守」と呼ばれるようになって「あぁ、そうなんだ」と思ったというから、随分のんびりした話だ。
 馬生師は中学時代にバスケットボール部だったというくらいで、確かに背が高い。ちびな私から見ると相当に羨ましい。しかし、その分街を歩いているとよく見える。
 今日もついてきていた前座は「駒松」で、ひょんなことから彼が大学の後輩だということが判明。それ以来彼も私の顔を覚えていてくれる。なんだかのんびりした風情の前座で、飽きずに勤めてくれると良いなぁとあたかも末の息子を見るような、あるいは孫を見るような気分である。演し物は「ざる屋」で入門してすぐの頃の、こっちが目をどこへやって良いのかわからん、という状態から脱して、見ていられるようになりつつある。
 馬生一門は12月26日(水)に上野鈴本で一門会がある。三木男も随分見ていないし、「しか芝居」もしばらく行っていないから馬吉、馬治も聞いていないから行ってみよう。
 蕎麦屋の二階は椅子席と畳座敷があって、近頃の大人は段々みんな座敷が苦手で椅子から埋まる。開演20分ほど前にあがったらもう席は畳にしきゃ空いていない。奥に妙齢の女性が座っていて、その隣に座るが、さすがに途中から胡座すらきつくなって、体育座りだ。馬生師の演し物は「芝浜」で、淡々とした中にあって、財布を拾ってから三年目の大晦日、しみじみ女房とふたりでその三年前を思い出すところで思わずしんみりしてしまう。
 噺が終わって、さぁ、蕎麦だ!ってことになって、隣の妙齢の女性が来年パリに一年行くんだという話になり、一体何用で行くのかとお伺いしたら、この方が関根直子さんと仰って新進気鋭の画家だということが判明。
 で、どんな絵をお描きになるのかと画家に対して発するべきでない質問をすると「鉛筆画」なんだと仰るのである。それも大きなサイズにお描きになるんだそうで、なかなかぴんと来ない。家に帰って検索してみると、なるほど、確かに鉛筆画なんである。実にユニークな絵だ。→ こちら
 2009年にパリに2ヶ月滞在して個展を開催。来年早々から一年間、文化庁平成24年度新進芸術家海外研修制度 研修員に採択されてパリに出かけるんだそうだ。チャンスがあったら見てみたい絵だ。
 年に一・二度しきゃ逢わないイラストレーター諸兄とそのお連れ合いとともに、雨の中を銀座4丁目まで歩き、教文館のウラの喫茶店に入ってひとしきりだべる。この歳になると新しい機械に振り回されるのはイヤだねぇと。
7,700歩。