ほぼ足りてまだ欲 その先

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映画「雲の上団五郎一座」

 「雲の上団五郎」といったらかつて東京宝塚劇場の当たり狂言だった。覚えているのは脱線トリオの八波むとしと三木のり平の「切られ与三郎・玄冶店」だ。あれは面白かったなぁ。
 ところが今日、NHK-BSプレミアで「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本〜喜劇編〜」という奴をやっていて、今日が1962年宝塚映画製作、原作菊田一夫、監督青柳信雄の「雲の団五郎一座」だった。詳しくはこちら。なんと50年前の映画だ。カラー映画だ。次から次に出てくる役者を見ていると、顔はわかるのに、名前が出てこない。ものすごく若いんだから。菅井きんの顔を見つけたけれど名前が出てこないくらい。もうこの中で生きているのは菅井きん水谷良重(今は水谷八重子)、北川町子、筑波久子くらいか。女性ばっかりで、男性陣は全滅か。
 もちろんこの元ネタがその1960年の東京宝塚劇場の演目だ。私は劇場で見たわけではない。もちろんテレビだった。年末公演だったのではないだろうか。
 雲の上団五郎一座はNETで1965年にテレビ番組にもなったことがあるのだそうだけれど、それは見た記憶がない。
 この舞台については「のり平のパーッといきましょう」(小学館 聞き書き田豊二 1999年)でものり平が語っている。

 あれはいつだったかな。昭和35年の暮れだったんじゃないか。そう、菊田先生の傑作だよ。おもしろかったかい?いくつぐらいだった。中学三年?そうかい。今観たいんだけど、なんにも残ってないんだよ。録音だけが残っているけどさ、もう観客の笑い声がすごくて、なに言ってうんだか聞こえないんだ。ああ、ものすごくウケたね、あの芝居は。映画が残っているって聞いたけど、映画と舞台じゃちがうからな。

 確かに、映画と舞台じゃ違っていて、舞台のテレビ中継を観てあんなに笑ったのになぁというのが、私と連れ合いの忌憚のない意見だった。
 で、この本でのり平がいっているんだけれど、八波むとしは「劇団新風俗」というのが美空ひばりがデビューした時に前芝居をやっていて、その中で八波の突っ込みが良かったといっている。菊田一夫が駕籠屋の役の相棒を捜してこいといったので、彼を引っ張ってきたという。じゃ、そのあとの脱線トリオはどうやってできたんだろう。
 ウィッキペディアで「脱線トリオ」を見ると、八波は「1946年に森川信の一座に入り、浅草常盤座で八波むと志の名で初舞台。1956年に南利明由利徹脱線トリオ」と書いてある。「劇団新風俗」なんて出てこない。八波はこのあと1964年(つまりオリンピックの年)に都電の安全地帯に車でぶつかって死んでしまう。
 ところで南利明って井上順に似てるなぁ。

のり平のパーッといきましょう

のり平のパーッといきましょう