作家の小谷野敦先生が三橋美智也の「お富さん」と江利チエミの「ウスクダラ」の話を書いている。
懐かしいねぇ。
両方とも空で唄えるね。
丁度小学校に入った頃の唄だから、口ずさんでいたのさ。
なんせ、子どもの頃の私はと云えば「お調子者」「すぐにふくれる」と四六時中いわれていたようなガキで、いやまぁ、相当飛び跳ねとったんでござんしょう。
今だったら、それこそ、ADHDの御診断を頂いたんだろうと思われまする。
今でも覚えているんだけれど、クラス替えがあった時に、新しい教室に行くと、顔見知りの勉強のできる男子がいて、彼の名前を先生が呼んだ時に、一緒に「はぁ〜い」といったくらいでございますよ。意味がわかりません。いや、今でもその時の気持ちは理解できるんですよ。嬉しかったんだよね。
そんな調子だから、クラス一の美人の堀江さんに気に入られようとしていろいろちょっかい出しては嫌がられておりましたんで。実にしょうもないお調子もんでした。なにをやらせても一番の男子(全然名前を思い出せない)と彼女が一学期の級長として先生に指名されていた時に、悔しくてねぇ。
あぁ、そうそう、そうじゃなくて唄ですよ。
「粋な黒塀、見越しの松に、あだな姿の洗い髪」でございます。
そんなの子どもにわかるわけがない。「あだな」ってなんだよ、でございます。
昔は、ちょっとした路地裏なんかに、そんな家ありましたよね。
黒い塀、松かなんかの枝なんかがちょっと見えていて、カラカラと開ける格子の音。
奥から「まぁ、旦那、いらしてたんですか」なんて声が聞こえて。
そりゃ、落語だね。
実はあの話は随分長い話なんだと知ったのは、もう還暦も過ぎようかという頃のことですよ。
半世紀間、ただあそこの場面しか知らなかった。
それには雲の上団五郎一座による鮮烈な刷り込みが大層役に立ったということです。
八波むと志のこうもり安と三木のり平の与三郎、あの頃はどうしてあんなに笑えたんだろう!
のちに東宝が映画にしましたが、これは、全然笑えなかった・・なんでだろう。