ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

パチンコ

 この遊びの名前はあたかも小林製薬のネーミング方式のようなもので、現物を見ると良くわかる。浪人時代にほんの少しの金で何かが取れるのが嬉しくて何回も神保町のパチンコ屋に入り浸っていたこともある。うちの義理の両親も好きで夕飯が終わってから「ちょっと行くか」と云って出かけるのにつきあったこともある。
 今やテレビを見ているとパチンコ屋もさることながら、パチンコ台のメーカーの宣伝が非常に目立つようになってきた。デジタル化されてからパチンコ台もめまぐるしく新しいものが発売され、上野駅前の一角に集中しているそうしたメーカーも競争が厳しい状況になっているようだ。しかし、新聞、テレビにとっての大きなスポンサーであることは間違いがない。
 パチンコ屋は開場時間に通りかかると一体何事があるのかと驚くほどの人の列ができている。それだけ博打性が高くて良い台を取りさえすれば(とまで云うのは極端としても)かなりの上がりが期待できる。その代わりやられる時はがつんとやられてしまうらしい。しかし、それが射幸心を煽るという状況そのものだ。
 そして、どこのパチンコ屋に行ってもすぐ傍に前面ガラス張りのまるで昔の駅の切符売り場みたいな小屋があって、そこに人が並んでいる。出てくる人たちは間違いなく万札を財布に入れながら出てくる。
 これが博打でなくして何が博打なんだと聞きたい。生活保護受給者がパチンコにのめり込んでいるのは許せないことだから、そんな状況になっている受給者がいたら通告をしろという条例を兵庫県小野市が制定した。税金を「ただ」貰って糊口を凌ごうとする者が射幸心を煽られてはならない、という論理だろう。それでなくてもぎりぎりの生活であるはずの生活保護受給者がパチンコにはまり込んでしまったら、生きていくことに困難が生じるはずだから、そこから救い出す、という観点なのかと思ったらそうではなくて、税金を貰っている身でありながらパチンコにうつつを抜かすのは怪しからんという観点のようだ。生活保護受給者の中には役所で金を受け取ると、借金を返し、残りを握りしめてパチンコ屋へ行き、生活は貧困ビジネスの先頭を切っている街金から金を借り、どんどん自分で首を絞めている人たちがいることは確かだ。
 社会保障制度にぶら下がっているこうした貧困ビジネスには様々な形態がある。その裏には反社会的連中が必ずいる。そしてその周りにはそのおこぼれに預かっている連中がまたまた必ずいる。
 マスコミが暴き立てなくてはならないのはそっちだ。金に目が眩んだ連中が金に目が眩んだ連中を隠し立てする。問題はそこにある。

 ところで、生活保護受給者が宝くじを買ったら「指導」されるのだろうか。