ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

5年生

 自転車に乗れるようになったのは小学校4年生の時だったと書いた。
 では泳げるようになったのはいつか、というと、形式的には同じく小学校4年生の夏だけれど、実質的にはこれはもう小学校5年生の時の夏休みだ。
 その形式的と実質的の違いは何かというと、ま、泳げたといえばいえるけれど、いつまでも泳げるわけではなくて、私のアイススケートがクロスやバックもできなければ、その前に何かに捕まらなくては止まれないのと同じ程度だということだったのだ。
 小学校4年生の夏休みは家から歩いて横浜の市電に青木橋の手前の停留所から乗って、本牧を通り、麦田のトンネルを通り越して、間門小学校にほぼ毎日通ったのだ。どういうシステムで実施されていたのか知らないけれど、間門小学校の体育館を拠点にして、朝から水泳訓練。弁当飯を食って、昼寝。午後にまた泳ぎの練習。
 今はもう埋め立て地になってしまっているあの海岸は下が貝殻だらけで、素足で入ると結構その貝殻で足を切った。だから、運動会で履いたような、あの白い裏にゴムが付いた足袋を穿いて泳いでいた。
 泳げないのは総じて息が巧く継げないということが大きくて、それが改善されないからいつまで経っても大したことがない。検定みたいなことがあった、無理矢理10mを泳いで一本線を貰ったのではなかったかと思う。
 それが自転車のところでも書いたけれど、清水に行ってからこれも環境が大きく変わった。小学校5年生の時の夏休みは本当に毎日毎日海にいって泳いでいた。おかげで際限なく泳ぐことができる様になった。あの頃の私は多分アシカのような、あるいはラッコのようなものだったのではないだろうか。真っ黒で水の中はもう何も怖くなかった。「どれくらい泳げる?」と聞かれると、そんなのわからないじゃないか、もうダメだ、力が尽きたというところまで泳いだことがないのだからと思っていた。だからいつも、生意気に「それはわからないなぁ」と答えていたものだ。
 次の年にはまた転校してしまったので参加していないけれど、そこの小学校では6年生になると、遠泳があってみんなして長い距離を泳いでいた。
 そんな私が今では25m泳いだだけで息が上がってしまう。だから、今でもどれくらい泳げるかと聞かれても答えられない。