ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

横浜駅西口

 もう何回も書いているので、耳蛸状態なんだけれど(これを読む人が・・・わかってます、済みません)昔の横浜駅は東口にしきゃまともな駅舎はなかった。しかし、その駅舎は堂々たるもので、中に入っていくと高い天井で、「あっ!」と声を出すとこれが見事に響いて気持ちの良いものだった。子どものこんな声は耳に触るものだけれど。で、西口ってのは仮出口で時間によって開くものだった。だから、ちょっと遅くなると「あ、もうダメだ、閉まっている!」という状態。それでなんでそんな方に降りたのかというと、ルノーの小さな初乗り40円のタクシーに乗るとうちに帰るのに便利だったからだ。つまり西口に降りる時というのはタクシーに乗れる時だった。
 そのうちに高島屋高島屋ストアーというのを作った頃から、本格的な駅の出口となった。その西口にあったのが岩崎という洋裁の学校だった。今では情報セキュリティ大学院大学なんてのまで持っているそうだ。蒲田の日本工学院と良い勝負かもしれないけれど、こんな具合に専門学校から「おいおい、大丈夫かい」というように大変身した法人もあれば、研数学館のように「あれあれ」という状態になっちまった法人もある。どっちがどうということでもないけれど、大風呂敷の方が良いのか、どうかはわからない。
 で、当時、あのすぐ横にゴルフ練習場があった。とっても小さな場所で、ただ当たる練習をするだけのようなものだ。その頃、つまり1960年頃、そんなところの需要が増えてきた頃だろうか。親父の練習というようなものにくっついていって暇つぶしに打ったのが多分私のゴルフ経験の始まりだったような気がする。
 その後、大学2年の時に、ゴルフ部にいた先輩と知り合って、その人に9番アイアンだけを打たせてもらって基本を習った。すぐ調子に乗るたちだから、4年生の時に、浅草橋のボンボンが河川敷ゴルフ場の割引券を持ってきたので、二人で行ったのが生まれて初めてのゴルフだったのだけれど、ハナから2ラウンドしてしまった。その後数回二人で各地にあった河川敷のゴルフに行った記憶がある。彼はその後、社会に出てから精神的に疲れてしまったといっていたのを聴いたことがある。二代目が必ずしも経営に向いているわけではないという例は枚挙にいとまがない。
 その後も全く上達しなかったゴルフだけれど、20年ほど前にイヤというほどやったのにどうにもならないので、きっぱり止めた。
 で、その横浜駅の西口だけれど、岩崎学園の文字は今でも残っているわけだけれど、あの近所のビルの屋上にゴルフ練習場が残っているが見えてとても懐かしかった。