ほぼ足りてまだ欲 その先

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大学

 どこかに書いておかなきゃならんと思ってきたことなんだけれど、ここで書くのがふさわしいかどうか。しかし、書いておく。
 私の母校は社会人入試というシステムを採用したという点ではかなり早くて元TBSのアナウンサーで評論家としても活動した木元教子先輩が法学部に1978年に再入学したのが、社会人入試の始まりだったと記憶している。だから、全学でこれを歓迎しているのかと思いきや、一年生への社会人入試はたった二つの学部が実施しているだけで、それも若干名の採用に過ぎない。三年編入もこの二つの学部だけで、文学部は卒業生だけに限っているし、その他の学部は学内転部以外を認めていない。なんという閉鎖的な学校なんだと、がっかりする。それなら他の学校へ行けば良いじゃないかという反応がすぐさま返ってくる。この論理は現政権政策に反対すると、すぐさま「だったら日本から出て行け!」という単細胞単純反応となんらかわらん。
 なぜ社会人経験者を迎えようとしないのか、理由がわからない。これだから日本の大学は変革をすることができない。日本の大学の中身は非常に特徴的だ、というよりは非常に例外的ではないか。これほど学生の中にバラエティーがないのでは若者たちにとって真剣な場所になりにくい。ただ単なる仲間内の誤魔化しにしかならないからだ。それは自分がガキの頃のことを振り返ってもその通りだ。
 で、この学校が爺さん婆さんのアカデミズム欲求に応えるべく始めたのが「セカンド・ステージ大学」なるものである。まったく自己満足に過ぎないのだけれど、一年間かけて論文を書くカルチャーセンターで「文部科学省が定めた学校教育法105条の規定に基づく「履修証明書」が交付され」るとしてある。資格は「満50歳以上の男女で、高等学校を卒業またはこれに準じた学力があると認められる」ものだという。2,500字程度の志願理由と面接で選考する。募集人員70名で費用が一年間に40万円。正規大学の授業料は安くても年間120万円(入学金含む)はするからそれに比べたら三分の一。普通のカルチャーセンターに行って年間通して三科目ほど聴講したら大体同じような値段になるだろう。
 先日学校から送られてきた広報紙にはこのセカンドなんたらに下村博文を呼んできたと誇らしげに書いてあった。ヨイショはわかるけれど、あの居直りの下村である。アカデミズムの片隅にもおけない恥ずかしさである。
 このセカンドに来ている人たちはキャンパス内で一般の学生たちと交流することはほとんどない。せいぜい学食と図書館である。