中学二年生の時に、地方都市の私学から東京の公立に転校した。一年生の時に、まぁ、まぁの成績だった英語の最初の試験で私はなんと零点をとった。後にも先にも零点だったのはこれが唯一だった。ものすごくショックを受けたのだけれど、私以上にショックだったのは母親だったようだ。こりゃいかんと思ったらしい。その時に、幼馴染みのお母さんが近くの元英語の先生が自宅で英語を教えているという人を探してきたので、その幼馴染みと一緒に毎日曜通った。しかし、既成の本を読むだけで、一向に効果は上がらない。するとその友達のお母さんが今度はまったく違う英語の塾を探してきた。
中学三年の春からそこへ行く事になった。ここは中学一年生から暮らすがあって、基本的にはやり方は全部一緒。とにかく出てくる文章を全部次までに暗記してこなくてはならない。それが並大抵の数ではない。文章は短くて、典型的な構文を諳んじてくる。本は研究社の山崎と、先生が自分で作ったガリ版。とにかく出てくる分を諳んじる。ぶつぶつと言いながら。
中学三年の時には一年生、二年生、三年生の三つのクラスをこなしたのだから、週のうち4日間は通い、日曜日は朝から三つのクラスをこなした。他は夜の6時頃から始まる。これじゃ、遊ぶ暇はない。
様々な誘惑に目覚め始めた高校二年生の春だったかに、「もう、イヤだ!辞める!」と言った。なんたって学校の友人たちとなにも遊べない。冗談じゃない。おふくろと一緒にその塾の先生に「辞める」といいにいった。あっという間に説得されて翻意することになった。なんでなのかわからない。強く心に決めていったはずなのに、気がついたら「じゃ、頑張る!」になっていた。
プリントだけではなくて、この先生は様々に覚えておくととても助かる英語の知識を囃子言葉のように使ってこれも暗唱させた。
例えば、「itの用法は時間、天候、距離、価格、予想用法、強調用法!」というもので、確かに「it」で受けるものはこうだ。「It is me that am wrong!」ってのは「強調」だ。もう半世紀以上前に覚えたことなのに、まだ忘れない。
この何でもかんでも諳んじることができるように訓練するというのは驚くべき効果を発揮する。文法を覚えるという効果もさることながら、オーラルへの抵抗感を極度に低減することが出来るということだろう。日本の英語教育の最大の欠点はいくら知識があってもオーラルが決定的に低いというか、ヤバいことにある。話し始めるやいなや、なんだ、こりゃという場合がほとんどだってことだろう。しかも、それでなにが悪い、という風潮が現場を支配している。
私の職場での知り合いで、大阪生まれの男はものの見事な英語を駆使し、大阪弁も、東京弁もまったく訛りを感じさせなかった。彼は物まねが巧かった。遊び人だったけれど、お高くはなかった。
どう考えても、学問として捉えて上達するわけじゃない。ただただひたすらに馴れるしかない。しかし、耳で聞くだけで口をついては来ない。聞き取れるようにはなるがコミュニケイトできるわけではない。
イチからの所に戻って考えた方が良い。
私は当時はいやだったんだけれど、母と、母のその友人のおばさん軍団に今では大変に感謝している。