ほぼ足りてまだ欲 その先

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経済政策

 安倍晋三政権は経済政策が第一、と掲げています。企業活動を活発にするシステムにする為にそれ以外にかかる経費を削減してきました。そして、積み上げられた年金にまで手をつけてそれを株式投資に突っ込んできました。その結果、好景気が実現している、これは歴史の上でも長い期間にわたる好景気だと喧伝しているのですが、私たちに実感は全くありません。それは一般消費者の消費傾向になって現れていないからです。一体全体どこにその好景気は現れているんですかね?大企業の企業内留保金を調べてみたら多分良くわかるんじゃないかと思います。つまり、企業、それも大きな企業が好景気を謳歌しているってことじゃないかというわけです。
 これがどんな結果を著しているのかといったら、大企業に雇われている人たちだけに恩恵が及ぶ好景気だということです。つまり国民の中にその好景気は偏在しているわけです。
 本当の好景気というのは、その経済活動範囲がおよぶ地域に暮らす人たち全員にその恩恵が及ばなくてはならないんじゃないの?という気がしますが、その考え自身が安倍晋三政権にとっては自由資本主義経済に反する考え方だ、あるいは騙されない考え方だ、ということになってしまって意に反するということでしょう。なにしろ、小泉純一郎とともに国民を騙し続けて郵便制度をぶちこわしてしまった竹中平蔵が今でもでかい顔をしているのを見たらおわかりでしょう。
 じゃ、本当に正しい経済社会はいったい何だよ?という話になります。 
 竹中平蔵の考え方の反対をやってみたら良いのです。すなわち、国民ひとりひとりの消費が活発になれば良いのです。いやいや、そんなものは微々たるもので、大企業がドッカァ〜ンと設備投資をして、大きなプロジェクトを動かしていく方がよっぽど活発になるんだと私たちは思い込まされています。ところがそんなものはたった一度通り過ぎてしまえば、経済活動は終わってしまいます。しかし、国民ひとりひとりが将来を憂うことなく、消費活動をするということは一回で終わるわけではないのです。毎日毎日この活動は続くのです。しかも、次から次にその後継者が現れてくるので、それこそ永遠エネルギーのように停まることがないのです。
 じゃ、どうすれば、この経済活動が活発になるのでしょうか。その要は「将来を憂うことがない」という点にあります。つまり、動けなくなったら、その時のために貯蓄をしていなくても良い、ということです。
 私たちはなんの為に貯蓄をしたい、できるようになりたいと思っているのかといったら「老後の為」です。蟻とキリギリスの話を子どもの時に聞かされて、あぁそうだろうなぁ、そのために一生懸命働かなくちゃ、と思ってきました。そのために税金を納めなくちゃと思ってきました。その結果なにが起きたのかといったら、消費活動を控えてきたのですね。その消費活動を活発にする、つまりお金をなんの憂いもなく遣うことが好景気を生み出します。それが日常になるんですから。
 その代わりに、動けなくなったら一定の資産以外の資産を国庫にすべて納める、ということが条件です。つまり、一定以上の資産は最終的には国家のものにするのです。そしてそれでそのシステムを賄います。するとみんな「どうせ収めるんだから」というのでどんどん消費するということになるわけです。
 さぁ、この考えのどこが間違っていて、どこが正解なんでしょうか。ま、少なくとも自民党を支えている大企業、富裕層が支持するとは思えませんが、選挙になったら勝つと思いませんか?いや、駄目だろな。