ほぼ足りてまだ欲 その先

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おでん

f:id:nsw2072:20190130021403j:plain:w360:left サラリーマンをやっていた頃は、結構おでん屋に入った。今じゃ、おでんは必ず冬に4-5回は家で夕飯にやる。とはいっても自分では何もしないから、うちのシェフが大根の下茹でに入ったことに気がついたら、その晩か、翌日に土鍋いっぱいのおでんが出来るんだなとわかる。ガス台でできあがったおでんの土鍋をよいしょと持ってダイニング・テーブルに置くのが私の仕事とされているんだが、これがいったいいつまで持って行けるのだろうかと、今から先が心配だ。

 サラリーマンの時に何回も入ったのは銀座の「お多幸」だったんだろう。ザワザワとしていて、ま、云ってみれば居酒屋の三州屋みたいなものだ。赤いプラスティックの皿におでんが出てくる。あ、そうだ、とり銀みたいだ。この場合「とり銀」と云っても「とり銀本店」じゃなくって、「ニューとり銀」の方ね。あそこも跡取り騒ぎで別になっているらしい。

 あ、そういえば「お多幸」だって銀座八丁目のお多幸と日本橋のお多幸は経営が違っている。紛らわしいよねぇ。何が何してどうなったんだか知らねぇけれど、こっちにとっちゃ面倒くさいだけだ。確か八丁目の店はかつては殿山泰司の親が出した店だと聞いたことがある。しかし、本人はあぁ云う人生を送ったんで、弟が継いだとどこかで聞いた。
 20数年前に豪州のシドニーに日本人駐在員相手のクラブのような店があって、そこはいつでもおでんがあった。入るやいなやおでんなんだよね。随分変わった趣向だなぁと思っていたら、その店のママの実家がお多幸だと聞いた記憶があるけれど、そんなものはもう本当か間違いかうやむやだ。

 銀座のおでんといったら「やす幸」の名前が出るんだが、今はすずらん通りにあるが、昔は並木通りにあった。再開発になって7丁目に移っていったけれど、ビルが建て直ったら戻ってくるのかと思っていた。全然戻ってこないね。先輩に連れられて二度ほど入ったことがあるけれど、あまりに高くて目の玉が飛び出た。いやはやとにかく銀座のおでん屋は「お多幸」以外、どこの店も高かった。おぐ羅も美味しかったけれど、かなり良い値段だったらしい。らしいというのはもちろん先輩の奢りだったからで、自分で出しちゃいない。確かお土産まで持って帰ってきたような気がする。この店は日本橋の新しいビルの中に出店したことがあるような記憶だけれどもうそれはない。今は丸の内の新しいビルの中にもあるらしい。

 もう一軒ミシェランにも取り上げられているおでんやってのが浅草の「お多福」って店だが、ここもたったの一回しか入ったことがない。今は古い店を建て替えていていつまでも工事が続いているのを見ると、相当凝ったものが出来るらしい。今は浅草の松屋に近いところのビルの三階で営業している。なにしろおでんの値段が書いてないのには懐が縮まるかと思った。

 この種の食い物は老舗になればなるほど、どんどん品質にこだわるようになって自家製になっていっちゃって、その分どんどん高くなる。勝手をいわせて貰ったら、その辺の野菜を練り物と一緒にぐつぐつ煮て、フーッフーっていいながら酒の肴に喰うものだろう。この辺は焼き鳥と一緒かも知れないなぁ。凝り始めるとどんどん凝っていっちゃって、「銘店」になっていっちまうんだ。