雨が降るのか、降らないのかわからない一日でした。
今朝は午前2時からNFLが始まってその決着が見えた頃に寝ようと布団に入ったのに、全然寝付かれず、午前5時から始まる試合もチェックしたりして、多分ちゃんと寝たのは午前8時位で、気がついたらもうお昼になっていました。NFLは午前9時から始まった試合がまだ決着していませんでしたし、家人は散歩からもう帰ってきていました。
そこからようやく散歩に出発。
iPhoneのLightningから3.5mmの普通のヘッドフォンジャックへのアダプタを探しにビックカメラに行く。1,780円もした。
歌舞伎座の前を通ると、ちょうど夜の部に入る人たちがやってくる頃で、みなさんおきれいな着物をお召になってこの雨の中をお出ましですが、なんで歌舞伎を見るのに、別に出演するわけでもないのに、着物で来るんだろう、という疑問は、若者が映画を見るのにコスプレしてくるのとおんなじだという回答がふさわしいのか。
街には一気に外国人、それも白人の人達が増えましたね。
半分くらいがマスクをせずに大きな声を出して喋りながら歩いています。だからもうしばらくはこっち方面には行かないつもりです。
ま、個人の解釈で良いと思うのですが、私はここら辺りからまたぞろ次の波が高まりつつあるなと判断しています。
四丁目の角の和光のウィンドウディスプレイは毎度楽しみですが、気がつくと端っこに75周年という印があります。
たったの75年なの?だって戦争の後、このビルは残っていたじゃないの、もっとも占領軍に接収されていたけれど。
沿革を見てわかったのはそれまでは服部時計店小売部だったと。あ、そう、そういうわけなのか。
永いこと、このビルの角を曲がってきましたが、実はこのお店に入ったことがあるのは(あんまり良く覚えていませんが)多分一回か、二回あるかどうかでしょう。何しろ用事がないんです。安藤七宝店には会社のお使いで何度か入ったことがありますが、こっちはとんと縁がありません。ちょっと敷居が高いしね。なにしろ親しみがない。そういえばSEIKOの時計って買ったことないしね。そもそも腕時計ってこれまでの人生で3つしか持ったことがないですから。あ、和光は腕時計だけ売っているわけじゃないし、裏にはお菓子屋さんだってあったしね。服部真一さんのご趣味でしょうから。
ビックカメラから中央通りの郵便局へ向かうと、外堀通りの銀座二丁目の角にあったビルが解体に入っています。かつてArbey'sが入っていたビルです。二階に「芙蓉クラブ」なんてのがあった時期が懐かしい。そこでそれぞれ友人だった二人がそれぞれのご両親と挨拶をするというので立ち会ったことがある。結局その二人の仲人をすることになってしまって、最初で最後の仲人をやった。新郎の名前とそのお父さんの名前をとり違えたと、彼はいうんだけれど、そんなことはないだろうよ。かれらの二人のお嬢ちゃんも先週下のお嬢ちゃんが無事に結婚式をお祝いしたんだと聴いて感慨深いものがある。
どんどん知らない街になっていきます。
無印に寄って、オクラ入りねばねば野菜のスープの大袋10食入り、炒め玉ねぎとベーコンのナポリタン250gを買う。ねばねばスープの大袋は大きな店舗でないと置いていない。近頃は何を食べるときでもこれが良い。ナポリタンはこれと自分が作ったボロネーズを混ぜて使う。あんまり意味があると思えないけれど、味付けがうまくできる。自分の味付けは往々にして薄味になってしまう。
二丁目のフジタビルの3階にある郵便局へ上がる。一階にあった英國屋が表通りから撤退してから次のお店が入らない。時代なんだろうなぁ。
郵便局から教会への献金を振り込む。統一教会ではないから大金ではない。だいたい郵便貯金の口座にもうほんの少ししか残高がない。教会へはもう三年も行っていないので献金をしていない。教会はこんなことで成り立つのだろうか。毎週の礼拝はほそぼそと続いているというのだけれど、全予約制で、月に二回までと書かれたメールが来る。真面目な信徒でもない自分がそんな状況で席を占めるのは申し訳がないとかいいながら行かないでいる。ATMにビニール傘が忘れられてあった。ビニール傘は気の毒だ。だいたいないがしろにされる。奥へ声をかけてロビーのテーブルに置いた。
午後4時半頃にようやく本日の二回目の食事にする。また、蕎麦。