豪華なシャンデリアを多慶屋で買う奇っ怪さは、何十万円もするブランドバッグを上野松坂屋名物質流れフェアでひったくって買うアンバランスが人混みとともにあるところかなぁ。
もちろん誰がどこで何を買おうと余計なお世話でございますな、それは。
しかし、なんだかそれが狡猾、あるいは卑怯、もしくは下衆というような気がしてしょうがない。潔くないというのかなぁ。無理矢理そういうモノが持てる力があるんだぞと世を欺こうというわけだからなんだろ?と思ったりするという、私は実に尊大な人間なんである。
そもそも金持ちがそうした、高いけれど丈夫だったり、色デザインがうっとりするようなモノ、を手に入れようとするのだけれど、その類のモノを普通に手にする金持ちなるものがその原資たる金を入手するのには、おおよそこの世の中ではまともなことをしていたんでは実現できたりしないのである。人の先手を押さえたり、人の錯覚を呼び起こしてみたり、裏から手を回してシステムを作り出したり、まともに正面から人を騙したりして初めて手に入る類がおおよそを占めている。
だから、そんな姑息人類の物まねをするのに人と争ってする必要はないのである。
昨日銀座の四丁目、これまでに一度も入ったことのない和光のショウ・ウィンドウ前に、ある50歳前後の男がためつすがめつしてディスプレイの真っ白な龍を見ている。その男の格好といったら、手にはヴィトンのバッグを掴み、スプリングコートのようなシャラシャラしたあまり見ない茶系のコートを翻し、頭にはさっき二丁目のトラヤで買ってきたばかりの茶系のソフトをあみだに被っている。なんでトラヤで買ったばかりなのだとわかるのかというと手にトラヤのから袋を持っていることもあるけれど、それから半時間ほど前にトラヤのショウ・ウィンドウを覗き込んでいたらそのオヤジが中にいて、店員が帽子にスティームを当てていたのを見ていたのだ。その格好全部で明らかに何十万円とするのだけれど、彼が醸し出す雰囲気はもう目も当てられないモノだ。
私はもっと巧く着こなせるぞ!と主張する人にはそんなチャンスがなかなかまわってこない。なんでかというとそういう人はそっちに神経がいっているから人を騙して金を手に入れる暇がない。
良いのだ。そんなことをした結果でないと手に入れられないようなモノは手に入れなくて良いのだ。見てご覧、今や銀座はそんな悪者相手の店ばかりになっちまったのだよ。