ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

移民

 1979年にアメリカのある街にしばらく滞在していたときに、車を走らせて、毎朝拠点に行き、アポイントメントを取ったら地図を頼りにひとりで車で訪問した。途中で草臥れたり、道がわからなくなったりしたら、道ばたに停めて地図を見る。そのうち、良くわからなくなったら、その辺の店に入って、聞いたりする。
 初めて行った街でseven-elevenがあったから入ってみると、東洋人の40歳前後という若い夫婦が働いていた。ひょっとして日本人なんだろうか、と訝しく思いながら行くと、向こうも同郷人かな?という雰囲気で見ている。思わず「日本の方ですか?」と言いかけるとむこうが、「あぁ・・・」とがっかりした顔をする。コリアンの夫婦だった。当時はまだ、コリアンの夫婦がやっている店は珍しかった。どうして珍しかったのだろうと思っていたら、今日の町山智浩の話を聞いて、わかった。当時、韓国はまだ軍事政権で移民として出ることが難しかったのだというのだ。なにかグリーンカードを取れる技術を持っているか、あるいは金を持ってきて店を買って資本を投下するかしかなかったのだ。目抜きの通りに投下する資本よりは当然、辺鄙なところ、あるいは治安の悪いところしか安い店はない。だから、そういう移民の店が集中しているところがそういう地域になっているというわけだ。
 今でも、例えばNew Yorkなんかでも、ブルックリンの外れとか、クイーンズに近づけば、妙にアラブ系の店だらけになっているなんてのはそんな地域だ。ハラルの表示、ケバブの匂いで満ちている。今、コリアンやチャイニーズの次に、アラブ系の移民に順番が回ってきている。
 映画の話は文化を表しているんじゃないと、面白くはないよね。そういう映画ばっかりのスパイク・リーの映画が近頃日本のマーケットで公開されないのは、ただぼぉ〜ッとみててもわからないからなのか。それにしては、ウッディ・アレンは公開されるよねぇ。
 今度の「A Rainy Day in New York」はウッディ・アレンのセクハラ問題が取りざたされて、アメリカでは公開中止に追い込まれたものだけれど、日本では問題とされないのかね?