ほぼ足りてまだ欲 その先

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知らないうちによみがえる

f:id:nsw2072:20210107214014j:plain:w240:left 朝鮮労働党の党大会が5年ぶりに開かれた、とテレビのニュースがいう。ものすごく大きな、大会堂のようなところに、ひとりの欠席もなく(当たり前なのか)5,000人の党員がびっしりと座っているけれど、誰ひとりとしてマスクをしていない。もちろん金正恩を始めひな壇上の幹部もマスクはしていない。そして、まるで見張りがいるかの如く、居並ぶ党員が「手も折れよ!」とばかりに一斉に拍手をし、キム坊ちゃまはそれを手で納める。とかく北朝鮮の指導者礼賛は誰ひとり疑うはずもない。これを見ていると、バカげているなぁ、外のことを知ったら、彼等だって、こんな盲目的な「われらが首領様のおかげですぅぅぅ」なんて唄っていられないだろうにと思う。
 しかし、こんな様子をテレビで見る度に、「人ごとじゃないんだ、うちだって、75年前までは全く瓜二つだったじゃないか」と人ごとではない。

 辺境社から1974年に出版された山中恒の「ボクラ少国民」を開けたら、見慣れない塔の写真があった。「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と書いてある。八紘とあれば知っているのは、三原じゅん子が訳もわからず国会で口にした「八紘一宇」である。八紘というのは、ウィキペディアに依れば、「「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を意味する語であり、これが転じて「世界」を意味する語」であり、「一宇」は「一つ」の「家の屋根」で、だから八紘一宇は「天下を一つの家のようにすること」で、かつては「天皇総帝論」を意味する標語、と云うことになるわけですよ。つまり、宮崎にあった「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」はその起点だということになるわけですから、戦前は壮大なことを言い張っていたんだなということになりますね。
f:id:nsw2072:20210107214434j:plain:w240:left で、その「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」ですが、例の紀元2600年の時に宮崎県知事が「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」を造るといって建てたんだそうです。御幣と盾の組み合わせらしい。1940年11月に完成。(写真は宮崎ガイドよりお借りしました。)
 戦後はGHQにいわれて”「八紘一宇」の碑文と武人の象徴であった荒御魂(あらみたま)像が撤去”とウィキペディアにどなたかが書いておられる。ところがぎっちょんでございましてね、1960年代に"もうほとぼりは冷めただろう"ということかどうか知りませんが、それぞれ、荒御魂(あらみたま)像も「八紘一宇」の文字も復活した、ということだそうです。復活ですよ、驚きますが。もっとも今は「平和の党」ということになっております。胡散臭い「平和」そのものでございますねぇ。日本会議の皆様や歴史修正主義の皆様はさぞかし満足されておられることかとご推察申し上げましょう。
 今、振り返ってみると、当時の日本の政治体制は、正に今の北朝鮮そのものでございます。というよりも、今の北朝鮮専制君主的に仕切っている、あの世襲三代がまさに日本の昭和の天皇制をそのままパクっているからではございますけれどね。一旦、陥ってしまったカルト的洗脳政治に別れを告げたはずだったのに、あまりの洗脳のすさまじさは、いつまでも遺伝子に語り続けておるわけでございますね。そんなことをいったら、不敬であるぞ!という恐怖心は今でも語り続けられているといって宜しいような気がします。
 よみがえる、青春!ではなくてね。