今年の2月に天皇皇后がベトナムを訪問したときに、現地で残留日本兵の元家族と面談をしたと報じられていた。太平洋戦争が日本の敗戦として終結して以降も、中国に結果として強制的に残されてしまって八路軍として戦った人たちがいたことは知っていたけれど、このベトナムの残留兵というのはなんだか知らなかった。
NHK BSプレミアムで「引き裂かれた家族〜残留元日本兵とベトナムの60年〜」の再放送があってようやくこれを見た。確か2005年に放送された番組で、それからもう12年も経っている。700人ともいわれる日本兵が敗戦後もそのままベトナムにとどまって、ホーチミンとともに対仏独立戦争を戦う為にベトミン軍の訓練に当たったというのだ。
しかし、ベトナムが独立を勝ち得てから、北の国境をあけたベトナムにはソ連、中国から大量な軍事顧問団がやってきて、元日本兵達はお払い箱になった。もうすでに現地で所帯を構えていた日本兵達はベトミン軍から離れて各地に散らばって暮らしていたが、ある日、全員に招集が掛かった。半年間、学習と称する合宿に縛られ、挙げ句の果てに、日本への帰国を半ば強制的に強いられた。1954年、彼らのほとんどは家族に内緒で離れ、陸路中国の天津にまで移動。そこから中国から帰還する人たちとともに船で舞鶴に上陸した。
しかし、そのままベトナムに残った人たちもいた。1959年になって彼らは家族を帯同して日本へ帰国することができた。つまり、同じ残留日本兵でも、多くの人たちは家族を残して単身帰国し、日本で新たな家族を構え、100人ほどはあとから家族を引き連れて帰国するということになってしまった。
残してきたベトナム人妻が再婚してしまった人、帰ってこなかった夫を待ち続けた人もいたけれど、その後日本が南ベトナムと国交を持つことによって北の対日感情は悪化して、やっぱりここでも辛い日々を送ってきた日系ベトナム人達。
戦争の傷跡はこんなとこにまで及んでいる。なにが独立の為に旧日本軍は役立っただ。残された個人個人が尽力をしたのであって、「昔の日本軍は悪くない、アジアを開放するために尽力したんだ」という偽論理にははっきり間違っていると断定してやらなくてはならない。
なにが「八紘一宇」だ!昨日今日覚えたばかりの古くさい、時代錯誤の言葉を振り回す、自民党のノータリン参議院議員は恥を知れ!
映画にしようとしている人たちがいます。→ こちら。
尽力された現地在留のご婦人のお話 → こちら。
テレビ朝日の「テレメンタリー」でも「二つの戦争〜翻弄された日本兵と家族たち〜」として2015年4月28日に放送されたそうだ。