外国人観光客はもう本当に油断のならないくらいあちこちに滲出してきていて、よもやと思われるところでも出会ったりする。バスも一時間に一本しか来ない路線にも乗ってくる。なんでこんな不便なバスまで利用するんだろうと不思議だ。もっと効率よく回ればいいじゃないの。それに生活の足として使っている日本人はできるだけ開けておく優先席にまで躊躇なく座る。爺婆が座る席がなくなったらそこへいって君たちは席を譲りなさいといってやろうと構えているところに、その爺婆が乗ってきたからいいにいこうと思ったら、彼らは立ち上がって席を譲った。ちゃんとやることはやるんだと感心した。日本人だったら、知らん顔をするところだ。それくらい日本人の若者はもう教えられていないのかもしれない。
隣の区の図書館日本を返しに行って、予約の本を借りだしたら、それが予想以上に重くなってしまったので、午後の予定があることも考えて、どこにも寄り道せずにとって帰ろうとした。バス停に来るとバスの時間まで10分以上あった。と、ショッピングカートを引きずったおばあさんが来て、時刻表を見ようとしたから「あと10分くらいありますよ」といってあげたら「じゃ、花屋へよってきます」といって傍の花屋に向かった。一時間に一本しか来ないけれど、利用者は結構いる。
午後になってつれあいが病院に行くのに付き合う。「非結核性抗酸菌症」と診断されていて、症状が悪化していないか、先週のCTの結果を見てもらう。この病気は何らかの理由で細菌が肺の中に入って影を作り出す。急激に悪化するものではないけれど、この先長い付き合いになるだろうといわれる。薬はあるけれど副作用があるので極力使いたくないという。今のところ対症療法しかない。高齢の痩せ型の女性に多く見られるというのは、傾向値なんだろうけれど、そういうタイプの人がかかる、ということではないのではないだろうか。ガーデニングに精を出したり、カビやその種のものが充満するような場所に長くいることは避けるべきだというがそうもいかないので、マスクを多用するくらいだろうか。
なんで診察に付き合うのかというと、医者の説明を私も聞いたほうが、間接伝達で誤って伝えられることを避ける意味がある。そして担当医の医者はなぜか、私に向かって話をする。とりあえず、旅のやり直しを決行することにする。