ほぼ足りてまだ欲 その先

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8月15日

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 今年の8月15日は東京は雨の中です。涙雨です。どんな涙か。戦闘行為に晒されずに済むという喜びの涙です。

 日本で多くの場合、この日に語られるのは、空襲の苦しみから解放された喜び、のはずなのに、昭和天皇の大御心に思いを致し、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」涙だったんでしょうか。
しかし、昭和天皇ポツダム宣言受諾するかどうかの瀬戸際に「もうひと泡吹かせられないものか」と仰ったそうでございますよ。
もう少し戦わんかの気持ちがございましたんでしょうかねぇ。
今から考えると、とんでもないお話でございます。

 張本勲が「結婚前のお嬢ちゃんが殴り合いが好きなのかねぇ」とテレビで発言して大顰蹙を買っておりますが、彼の価値観がとっくに陳腐なものになっているのに気がつかないという哀れしつるところでございます。

 それと同じような現職大臣どもの靖国参拝でございます。
文科大臣の萩生田光一は「先の大戦尊い犠牲となられた先人の御霊に謹んで哀悼のまことを捧げ、改めて恒久平和への誓いをしてきた」と発言したそうでございます。彼は本当にそう思っているのでしょうか。

靖国は本来神社ではなかったというのはもはや常識でございます。
高杉晋作が発想した奇兵隊の墳墓として始まった招魂社がその始まりだとウィッキペディアにも書かれています。
各地にそれぞれの招魂社が作られたそうで、東京招魂社が今の靖国です。
ここに祀られている人々が「先の大戦尊い犠牲となられた先人」だというのであれば、なるほどという考えもありますが、「尊い犠牲」とは名ばかりで、「志願」を押しつけられて特攻で殺された人たちや、兵站が全くなされずに、現地で調達せよと放置されて餓死した多くの人たちが含まれています。

玉砕という名称でいわれる、全滅攻撃にいたっては指揮官の自己満足に過ぎない話にならない愚かな作戦。
尊い犠牲」とはなんと失礼な表現だろうか。
挙げ句の果てに、多くの殺されてしまった人々をそう仕向けたいわゆる「戦犯」まで靖国には祀ってあります。
萩生田光一は彼等をも「尊い犠牲」といっているわけです。

 私はとてもこの行動、言葉を許すことはできかねるのです。
親戚のおばさんがいうには、戦死した旦那さんの白木の箱には石が入っていただけだったといいます。
これでも、国に感謝しろというのでしょうか。
だから遺族年金を支給したじゃないか、という言葉が飛んで来そうです。
東條英機の遺族にも軍人恩給が満額支給されていたということを考えると、私にはどうしても許せないのです。

 その上、今年はどうか知りませんが、毎年、この日に靖国に旧軍の戦闘服や軍服を着た連中がやってきます。
なにが面白いのでしょうか、なにが嬉しいのでしょうか、なにを考えているのでしょうか。