ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

日本橋

 また買い物に日本橋へ行く。毎朝のサラダに入れる豆と胡瓜のピクルス、コールスロー、smoked salmonの切り落としを求めに行くが、ピクルスの容器が変わっていて、危うく見すごくところだった。コールスローに飽きた気分がしていたので、その横にあったごぼうのサラダをこれ幸いと拾うが、後で皿に置いてみて、その色の汚さには呆れた。パンは気に入ったものが焼かれていなかったので、仕方なくバタールにした。

 昨日チェックした本を探そうとして丸善に入ると、一冊はあったが、もう一冊は在庫なしだった。よせばいいのに、周辺の棚を見回していると、面白そうな本を見つけた。愛新覚羅溥儀の一族に絡む本があるとどうしても手が伸びてしまう。今更溥儀や溥傑の人生を復習してもしょうがないのだけれど、なんだかまた新しい事柄がここに書かれているのではないかという気がしてつい手を伸ばしてしまう。著者は牧久というが、この年代の人(1941年生まれ)で日経の記者だったと聞くと、なんだか手が縮こまった。あんまり良い記憶がないからだ。それでも、ひょっとしてと思って袋に入れた。それにしてもこの時期丸善が挟んでくれるリボン付きの栞が「会社四季報」なのが悲しい。

 著者は1966年、戸越銀座の生まれである。町工場の娘らしい。それゆえにこの著作なんだそうだ。大学はICUだったそうだがその前はわからない。中高が立教女学院だったのではないかという記述もどこかで見た。だとすると「負け犬の遠吠え」の酒井順子と一緒くらいらしい。その頃のICUだと今とは違ってリベラル・アーツとはいっても、ゆるい縛りのメジャーが最初からあって、ランゲだ、エデュケだ、とあったはずで、彼女は社会学系だったらしい。
そもそもお祖父さんが白金三光町あたりの町工場に外房から奉公に来たところから始まっている。「白金高輪」の駅は地名のロンダリングだというところが痛く気に入った。そう、私も正にそう思っていたのだ。桜田通沿いに五反田の駅からそれほど遠くなかったところにあった逓信病院のことはよく覚えている。しかし、この本の五反田からみの話はこの界隈を知らない人にはよくわからないのではないのか。大宅壮一ノンフィクション賞をとったという「転がる香港に苔は生えない」も読んでみたい気持ちにさせられる。よし、明日も本屋に行こう。(ドンドンなし崩しになる「もう本は買わない」宣言)。

 私は精神障害に関して知識があるわけでもないので、このタイトルを聞いた時に、遺伝という観点があるとは思っても見なかったので、興味をいだいた。12人の子どもを持つ一家の話を実名を上げて記録したノンフィクションだという。9月に刊行されたそうだけれど、私が手に入れたものはすでに5刷となっている。

 これは古本で、先日のNHK映像の世紀バタフライエフェクト大恐慌 欲望と破滅の1929年」で見た、JFKやRFKの父親、ジョセフ・ケネディについての1996年に文春から刊行された著作。古本だったのだけれど、とても古本とは思えない、つまり、誰も開けた形跡のない本だった。1885年がアイルランドが例の馬鈴薯の大飢饉に襲われた年で、あれがなければ、ケネディ一家はアメリカにいっていない。そう考えると、当時の欧州には未開の地としてのアメリカ大陸があったが、1930年代の日本が満州を同様の理由で捉えようとしたのが如何に大間違いだったのかよくわかろうというものでもある。