ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

風邪

 昨日の朝から喉が痛い。風邪用の市販薬を飲んで、その後3時間ほど寝るというのを繰り返しても、喉の痛みは拡がるばかり。確実に扁桃腺が腫れている。というか、子どもの頃から健康診断の度に「扁桃腺肥大症」という判子がカルテに押されてきた。風邪を引いたと医者に行って、喉を「ぐぇっ」とされたら確実に医者は誰であろうと、「腫れてますねぇ」と言われる。つらい。

まだわかっていない

自民党の二階幹事長の発言
13日の党緊急役員会「予測に比べると、まずまずに収まったという感じだ」
15日 昼「撤回するもしないも、ない。極めて大きな災害だ。災害復旧に全力を注ぐ」
15日 夕「被災地の皆さまに誤解を与えたとすれば表現が不適切だった」

 ここまで来た。しかし、こいつもそうなんだが、この言葉の裏には「誤解する奴が悪いんであって、俺は悪くない」という主張が隠れている。それにこの文章のおかしさは「誤解を与える」にあると思う。「誤解をされるような表現をしてしまって申し訳がない」という意味にはとうてい受け取れない。そこが非常に不遜だ。麻生も良くこういう表現を使うけれど、自分は飽くまでも悪くないと本人は思っている。

写真

f:id:nsw2072:20191015150800j:plain:w240:left 私が通常持ち歩いているカメラはNIKONCoolpix P900、あるいはSONYのDSC-RX100M5のいずれかで、でかけるときにどっちにしようかと考えている。ズームで引き寄せたい場面に遭遇する可能性が高いときには映像のレベルは下がるけれどP900だし、それほど引き寄せるチャンスがなさそうだったらRX100にする。
 ところがiPhone 11を入手したところで、写真を撮ってみたらとっても綺麗に撮れ、なおかつオートマティックに撮影条件を割り出して映像化する力があることにビックリした。世の中の進歩は普通じゃないんだね。

振り替え祝日

 今日は1964年に東京オリンピックの開会式が行われた日を記念して制定された「体育の日」を振り替えた祝日。もはや何の意味を持つ祝日なのか判然としなくなりつつあり、もう理由なんてどうでも良いという状況である。なにしろ概ねなんでも理由なんてどうでも良い状態に陥っているわけで、今月、そこら中の店のディスプレがされている「ハロウィン」と同じなんである。なにしろ、台風真っ盛りの日に「ハロウィン・パーティーだった」といっている輩がいるくらいで、そもそも米国だって、理由なんてどうでも良いから「treat or trick!」だなんて子どもが言っているわけで、それの物まねなんだから、なんだって良いわけでございます。で、なんで休みなんざんしょ?

f:id:nsw2072:20191015181853j:plain:w240:left 浅草演芸ホールが「権之助」真打ち披露興行なんだけれど、祝日だから入れないかも知れないねぇ、と思って開場前に行ってみると20人ほどの人たちが行列をしていた。浅草演芸ホールにはもう半世紀ぶりくらいだった。多分最後に入ったのはガラガラの林家三平の時だったような気がする。中は全く変わったような気がしない。トイレは綺麗になったけれど、何しろ建物自体がもはや古い。そうかといって、国立を入れて東京に4カ所しかない寄席だから、建て直すことになったら演者から見たら職場が減ってしまうということになりかねない。なによりも多分資金がないだろう。久しぶりに見る人たちを見られて面白かったけれど、円丈が歳をとっておられることに驚いた。弟子のわん丈が関西の出身だとは思わなかった。「おしどり」と書いてあって、こりゃ誰だろうと思ったら、東電の記者会見に足繁く通っている「おしどりマコ&ケン」のことだった。針金アートを初めて見た。しかし、ようやく遭遇したロケット団には思いっきり笑った。最後は満席だった。権太楼がお得意の「代書や」だったのに、幼いお嬢ちゃんが権太楼の顔に反応して大きな声で笑うので、いつもに比べたらずっこけそうだった。

 仲間と一緒に飯を喰い、夜はそのまま銀座での友人のライブ。

台風

f:id:nsw2072:20191013060839j:plain:w240:left テレビが報じる大きくて強い、気圧がなんと945hpだという台風19号が昨夜やってきた。東京が一番キツいのは21時頃だというんだけれど、20時前にいつものように眠くなり、ごろんと寝転んだら、午前0時まで全く気がつかなかった。その間に台風のクライマックスは終わってしまい、目が覚めたら全く静かになっていた。テレビのニュースを見ると多摩川二子玉川あたりで防波堤を越えたという。そりゃ凄い水量だ。さすがに雨台風。
 それにしても、わが家で受ける印象としては15号台風の時の方がビビるに充分だったような気がするんだけれど、それがあったからこそ、それほど感じなかったのかも知れない。

 あ、そうだ、今日は6廻りした私の誕生日だったんだ。家族三人、それぞれの朝飯が終わるまで、誰も気がつかなかった。そういう歳だ。

f:id:nsw2072:20191014074732j:plain:w240:right 50年前に運営していたスキーグループの仲間が今でも繋がっていて、毎年秋になると埼玉の友人の家の庭でBBQをやる。例年は11月にやるのだけれど、今年は加州に住んでいる友人夫婦が一時帰国しているので、この週末に開催。最初は昨日の土曜日の予定だったのだけれど、台風で一日順延。旦那が明日帰国なので、最後のチャンスだった。今年は16-7人が集まった。良いBBQだった。

83歳

 和田誠が死んだそうだ。83歳だという。その年齢まであと10年ちょっとしきゃない。いよいよ、覚悟をする頃合いがやってくるってことだと思った。そういえば、寝床から起き上がるのが厄介になった。こんなことになるんだと、今頃になって気がつく。なんでみんなベッドみたいに場所ふさぎな寝床で寝るんだろうと思っていたが、こういうことだったのかと気がつく。それはこれだけのことではなくて、あちこちで今頃になって気がつくことがある。階段の手摺りがこんなに有効なんだとは、というのもある。だから、階段の途中で手摺りに寄りかかって、スマートフォンをいじっているのはやめて下さいね。

 和田誠の奥さんは平野レミだ。あのフランス文学者〔と私は聞いている〕の平野威馬雄の娘で、若い頃、TBSのラジオで「おっとこが出るか、女が出るか!」と叫んでいた料理評論家というか、騒々しいおばさんだ。平野レミよりは平野威馬雄の方が先に知ったんだろうと思うが、私がフランス文学に興味を持ったことなんてないんだから、当然その名前は雑誌「話の特集」で知った。和田誠ももちろん「話の特集」から知った。彼は「話の特集」には欠かせない存在だったらしい。

f:id:nsw2072:20191012040335j:plain:w240:left 2005年に「話の特集」の編集・発行人だった矢崎泰久が創刊40周年と銘打って出版した「話の特集2005」という本によると毎号欠かさず登場していたのは長新太だったらしい。あの人の絵はインパクトがあったなぁ。どういう頭の中身なのか、次から次に繰り出してくる奇想天外な展開にはいつもながらあっけにとられていた。あれだけ毎号買っていたのに、全部残っているわけではないというのには訳がある。引っ越しをする度に、「そうだ、この際だから、不要なものは捨てるんだ!」といって私の青春を一緒に捨ててきてしまったのだ。ほんのちょっとだけ、まだ残っているが、開く度に、「おい、あんなことやっただろ!」と古い雑誌が私に迫ってきて、その都度「ごめんなさい!」と心の中で謝るのである。ひょっとすると死の間際に、周りの人間がそれまで聴いてもいなかったことをボロボロと白状して「ごめんなさい!」と誤りながら死ぬのかも知れない。

 あ、そうだ、和田誠のことだった。知り合いのイラストレーターによると、認知症が進んでいて、大変らしいよ、ということだった。それを聴いてまだそれほど時間が経っていないので、ちょっと驚いた。

追記:久米宏が、麻雀の師匠だった和田誠平野レミを紹介して欲しいといわれ、言下に「ダメですよ!あんな女!」といい放った一週間後にふたりは結婚したという。久米宏平野レミはラジオで「おっとこがでるか、おんながでるか!」とやっていた。(TBSラジオ「ラジオなんですけど」2019.10.12)

台風19号

f:id:nsw2072:20191011210122j:plain:w240:left 千葉が大ダメージを受けた先だっての台風は15号だった。今度は19号だ。奇数が良くない。今度のは「大きいぞ!」と気象庁がいっている。さすがにアメリカ基準のレベル5だといっていたのはそれほどでもないと云うけれど、アメリカだったら、みんなして車で逃げるような規模だという。日本人はなんで逃げないの?と。逃げる先がない。こんなにしょっちゅう台風が来て、しょっちゅう地震が起きる列島に暮らしている割には、その度にダメージを受けている。政府もなんにもしない。屋根が飛ばされちゃったら、ブルーシートで凌ぐしかない。アメリカの一戸建ての家のほとんどは2x4だから風には弱い。それなのに、竜巻が来る地域でも別に家がコンクリートでできているわけでもなく、普通の2x4だ。だから竜巻が通り過ぎたあとは、もう本当にバラバラになっている。それでも簡単にパタパタと建て直せば良いという考えもある。日本の家屋はとてもこの環境に対策が立てられた家だとは思えない。なんでだろう。

 今年の秋のBBQは米国から帰ってきている友人夫婦が参加できるようにとひと月繰り上げたというのに、ものの見事に台風にぶち当たり、台風が来る前にやるか、通り過ぎたあとにやるか、紆余曲折あり、結局通り過ぎたあとにやることになった。


 今朝、朝飯を食べながら「American Idol」の地区予選の様子を見ていた。番組作りが実に感動を喚起する造りになっていて、簡単に爺さんは感動してしまうのだよ。中でも、自分のegg donorを探しだし、自分の母親とも非常に仲良くしているという女性がそのegg donorとデュエットするなんて、驚いてしまう。ふたりの声質は当然のこととして、正にそっくり。しかも、彼らはお互いを知る前に、同じ学校の同じアカペラ合唱グループに相前後して参加していたというんだよ。世の中、意外なことが起きるもんだねぇ。