ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

2020年

f:id:nsw2072:20200101184601j:plain:w360:left 昨夜、友人が除夜の鐘をつくのは知っていたんだけれど、テレビが入るらしいと聴いていたので、どこのチャンネルなのか探していたら、見つけた。私が好きじゃないタレントばかり出てきたけれど、その騒ぎの後ろで順番を待っている彼をテレビの中に見つけた。なぜか、「おっ!写っている!」と騒いだんだけれど、なんで騒ぐことになっちゃうんだろうかと大変に不思議だ。この感情はどこから出てくるんだろう。テレビに映る→なにか、良いことが起きたような錯覚。

 年賀状を60枚ほど貰った。だからそれだけ私も年賀状を書いた。ガリ版で刷った。もうインクが残り少ない。あと二回分ぐらいはありそうだ。さすがにもうどこにも売ってはいないことだろうから、来年はしっかりと内容を吟味して長文を書くことにしよう。

 社会人駅伝とサッカーで日は暮れた。明日と明後日は箱根駅伝でくれることだろう。九連休の人たちはもう半分以上が終わってしまったことになる。あっという間である。私には全く関係のない話ながら。

まがい物の暮らし

f:id:nsw2072:20191231212544j:plain:w360:left まがい物、と云う言葉はどこから出たのか知らないが、紛い物あるいは擬い物と書くらしい。しかし、これは単なる偽物じゃない。かなり本物に近いが残念ながら本ものじゃないものをいうらしいから、今の時代にいわれるような、どうしようもないがらくたな偽物というのとはちょっとは違っているのかも知れない。かなり程度の良い、しかし、残念ながら安河内の眼はくぐり抜けることができないような偽物、ってことか。
 なんでこんな言葉にかまけているのかといったら、本屋でちらっと見たら「ほんもの:白洲正子(じろうのことなど)」なんてタイトルを見たからに他ならない。なんたって私のことだから、それを見てからブツブツと「悪かったなぁ、どうせ金のない俺の生活なんて、まがい物の生活だよ!誰だって金さえあったら本マモンといっても良いような生活を送ってやるんだ」と云いながら帰ってきたんだけれど、こうしてみると、私の生活なんぞ、「まがい物」でもないわけだ。なにしろそんなにグレードは高くない。なにかを真似して作ってみたんだけれど、所詮そういうものだから、適当なところで妥協してね、というものである。それはひとえに自分の頑張り力のせいなんだ。頑張る、今からでもちょっとあれに手を出してマメにやってみる、というような力を出す気がない。う〜む、眠くなったんだからしょうがない、とでも云うように暮らしているんだから。だから、それをそのままにして堂々と暮らせばよろしい。

私は白洲の夫婦を全く信用しない。巧いこと戦中、戦後を渡り歩いた。

GHQと戦った女 沢田美喜 (新潮文庫)

GHQと戦った女 沢田美喜 (新潮文庫)

  • 作者:青木 冨貴子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/01/27
  • メディア: 文庫
 私たちが子どもの頃はエリザベス・サンダース・ホームの名前を知らない子どもは多分いなかっただろうと思うが、それは横浜近辺だけだったのだろうか。今頃になってようやくちょっと読んでみようかなと云う気になった。これはkindleでも読むことができる。

教会建築を読み解く (HOW TO READシリーズ)

教会建築を読み解く (HOW TO READシリーズ)

 高かったのだけれど、ちょっと手元に置いておきたくなった。

忘年会

 昨日は若い友人の自宅での忘年会だった。ロンドンへ行っている仲間の一時帰国歓迎会を兼ねる。彼らの自宅に呼んで貰うのは初めてだけれど、うちの傍のバス停からバスに乗って一本だという便利さ。それでも30数分はかかる。川を二本渡った先だ。途中のJR駅前からドッと乗ってきた乗客の中に、でっかい奴が乗ってきたなと思ったら今日のお呼ばれ客が三人もその中に入っていた。四人で一気に到着。犬連れと赤ちゃん連れが来ていて、あとからキーボーディストと後輩のボーカリストが来た。なんと6時間も飲み食い、唄う。時差の残る仲間は途中から眠くなり、大阪から帰ってきたでっかい奴も旨いシウマイをみんなに出して、ソファで寝ていた。現役はお疲れなのだ。
 帰りにJR駅そばの居酒屋で後輩のボーカリストと今年最後の爆笑談義で三杯呑む。

大丈夫か

 なにも考えずに「ローエングリン」の切符を買った。考えてみたらあのオペラは4時間近い。夜遅く宿へ帰ることができるのか、はたまたトイレが我慢できるのか、全く考えていなかった。どうする?

 昨日は半世紀ぶりに日本へ帰国した友人夫婦と銀座の角で偶然に出会った。久しぶりの日本の年末をどう楽しんでいるんだろうか。

文庫本

銀座界隈ドキドキの日々 (文春文庫)

銀座界隈ドキドキの日々 (文春文庫)

 和田誠ってのは多摩美在学中に「日宣美」に入選、一等賞を取ったそうだ。いくら昔の話とはいえ、天才だな。銀座の昔話が出てくるんだとしたら、ちょっと面白いかも知れないと思っている。ちょっと読み始めたら面白くって、他のことが手につかなくなる恐れがあって、慌てて本を閉じなくてはならなかった。


誰も知らない  谷川俊太郎作詞・中田喜直作曲 Nobody knows
「みんなの唄」第一回 アニメ和田誠

 たばこのハイライトのパッケージデザインは和田誠だそうだ。
 この本は銀座界隈なんだから、なにか銀座関連の話が出てくるだろうと期待している。並木通りには大倉商事の古い建物が建っていた。その近辺には並木座という邦画の名画館があった。で、そのすぐ傍だったと思うのだけれど、山関連の「チロル」という店があって、この店の名前がこの本に出てくる。登山靴やスキー靴を注文するような店だった。当時の山道具の店はとっても洒落ていて、海外の様々な関連グッズをここは扱っていた。和田誠によると伊丹一三もここに来ていたらしい。私は大倉商事に勤めていた友人に教えて貰っていって板敷きがある。しかし、とてもここでは買えるような収入を得ていたわけではないから、好日山荘とか、神田のサカイヤなんてところをあさっていた。そういえば、そんなこともあって、革のトトレッキング・ブーツを買ったことがあった。バックスキンで、赤いシューレースだった。あれはいったいどこへ行ってしまったんだろう。ひょっとすると未だに靴箱の奥に隠れているのかも知れない。


 この川上未映子、という人を私は全く知らないし、村上春樹の本はほとんど読んだことがないのに、どうして、こんな本を手にしてしまったのか、我ながら理解がしがたいものがある。小説はほとんど読まない、というより中学生時代の「にんじん」以降記憶にないくらいなのに、なんで村上春樹を手にするのか。ただ単にミーハーなだけなのか、それとも名前負けしたのか、これがわからない。しかし、このインタビュー本は少なくとも小説ではないわけだ。だからまだ私自身として抵抗感がない、ということかも知れない。

人の砂漠 (新潮文庫)

人の砂漠 (新潮文庫)

  • 作者:沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1980/12/29
  • メディア: 文庫
 沢木耕太郎の本もほとんど手にしたことがない。それだのに、なんでここで手にしたのかと申せば、なぜか、私のAnazonのほしいものリストに載っていたからである。このリストに加えられてあるということは、どこかでこの本に触れた人がいて、それを読んで、あ、これは一度読まなくてはならないんだなと肝に銘じた、ということになるのだ。しかし、この本は最初は昭和52年、つまり1977年に出版されたものであり、この頃、私たち(沢木耕太郎は私と同じ歳)は弱冠30歳で、巧く行かない会社員生活に漫然とした日を送っていた私に比べ、彼はもう既にこんなことになっていたんだから、人生の歴史に彼我の差を感じるわけだ。じっくりこの分厚い文庫本を読ませて戴こう。

桐生悠々

 桐生悠々といえば、「防空大演習を嗤う」である。首都防空演習なんてものは、もうそれが実際のものとなったら、負け戦も良いところで、そんなことを前提にするだなんて、あほタレだというわけだけれど、これでもって、彼がそう書いた信濃毎日新聞在郷軍人会の不買運動の兆しを察して、桐生悠々を退職せしめ、事態は悠々がいった通りになっていったわけだ。その後彼は会員雑誌「他山の石」を300人ほどの会員相手に書き続けたけれど、それすら検閲、発禁、削除の憂き目を見る。宮武外骨もかくやという存在である。1941年9月に彼は他界する。彼のいう通りになっていったわけだ。そして、今、正にその頃を彷彿とさせる安倍晋三独裁内閣が軍を勝手に動かしつつある。今彼の動きを封じないと、悠々が憂いた正にその状況に突入するだろう。

 今朝のテレビ朝日が放送した、北陸朝日放送制作・第25回PROGRESS賞最優秀賞受賞「言わねばならないこと~防空演習を「嗤った」男・桐生悠々〜」(こちら)は偶然見たのだけれど、私が知りたかったことが満載だった。彼が一時期主筆を務めた新愛知新聞は今の中日新聞東京新聞に繋がり、望月衣塑子に繋がってくるとは!
 信州へ行くと、チャンスがあれば信濃毎日新聞を読むことにしているが、それは桐生悠々を思いだしてのことだ。
 この種の番組を早朝の枠でしか放送ができないという状況が正に桐生悠々の警告通りに時間が動いていることを意味するといっても良いだろう。

ぎくっ!

 今朝、つれあいが背中がとても痛いという。ぎくっとする。なぜか。義母が朝に「胃が痛い」といって電話をしてきて、娘であるつれあいが医者に連れて行ったらそれが心筋梗塞で、そのままICUに収容されたけれど、その二週間後に他界したのが丁度、この時期だったからだ。心筋梗塞になるととても背中が痛くなると良く聞く。すぐさま病院へ行けといって、自分は留守番しながら昼飯を作っていた。医者に行ったのが10時半頃だったので、私が昼飯を食ってしまっても帰ってこなかった。午後1時頃に電話が鳴って、心臓の心配はないと云うことで、一安心したんだが、どうもここのところ、2-3週間胃の具合がよろしくないといっている。なにごとならん。