ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新しい学校

f:id:nsw2072:20200325030947j:plain:w360:left 多分二人の姉の関係で、私は以前から入学する小学校に行くチャンスがいくらもあったんだろうと思う。だから、一年生に入学するときも、それほど違和感がなかった様な気がする。上に兄弟姉妹がいる人だったらば多分そんな経験をしていたんじゃないだろうか。だからなのか、小学校4年生の途中までしか行っていなかったのにあの小学校の表門も裏門も良く覚えている。裏門はパイプでできた大きな、まるで牧場の牛の出入り口みたいなぎぃぃぃと音がしそうな門扉だった。そっちから帰ると、電車の線路を跨ぐ橋の上に出て、駅の横をダラダラと下って銭湯の脇を通って駅前の太い通りに出る。正門の方から出ると、坂を下り、福祉会館を回り込む様にして、駅の反対側に出る。そっちには映画館があった。いまでは社会福祉会館は解体されてなにか他の建物になろうとしている様だ。確か、学校の学芸会や、映画鑑賞会というと、この社会福祉会館へみんなで降りていった記憶がある。
 一番緊張したのはやっぱり転校していく新しい学校だ。小学校4年の時に転校した先の小学校は、今でこそたいした差はないけれど、昔は文化的にも、言語的にも結構な相違があって、子ども心に、結構なチャレンジだった。あれで、人前でも怖じ気づかない気持ちができたのかも知れない。そういう点では、転校人生も少しはプラスになっていたのかという気もする。
 不完全な形で卒業式やら入学式を経験する今の子どもたちは、ある意味可哀想な気がしないでもないけれど、そんなことは人生上なんということもない。これから、別れも出会いもいやっというほど様々な形態でやってくる。こっちはあとは別ればっかりだ。

うた 

 月に二回の歌の会を来月も休会にすることにした。
どうしようかなぁ、まだダメだなぁと思っていたら、指導者の先生からも辞めましょうと連絡が来た。折角脂がのってきたのに、とても残念だ。できれば次はこれを唄いたい。


アル・ディ・ラ Al Di La ~恋愛専科(Rome Adventure)~」コニー・フランシス Connie Francis

真剣じゃない

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 先日スペインから帰国した旅行者が成田に到着して検査を受けた。検疫は検査結果が出るまで待機してくれと要請したけれど、彼らには沖縄への乗り継ぎ便が予約されていた。だから沖縄便に搭乗した。検査結果は夜の23時に陽性が判明。待機するには航空便をキャンセルしなくてはならなかった。しかも待機場所が指定されているわけでもない。空港ビルの中に、どうしてそういう場所を設けないのか。

航空便変更や宿泊費用は自腹で、さらに検査で陰性でも、2週間、自宅などでの待機が必要となる。公共交通機関を使わなければ帰宅できない今回のような事例は、2週間分の宿泊費用も自腹で負担しなければならない可能性(沖縄タイムス2020年3月23日 05:00)

 いくら何でも、これが「要請ベース」であり、全てのアレンジメントから費用負担までを当事者負担であるというこのやり方が拡散を防止しているとはとても思えない。検疫所自体だって、そう思えないだろう。こんなやり方に誰も疑問を持たないのか。
 多分これは例外ではないだろう。何人もの人がこうして公共交通機関を使って帰宅していることだろう。そう考えると怖ろしくて外へ出られない。

うつる

 某フリージャーナリストが「愚蒙」というのは疫病のような伝染性がある、といっている。その通り。そういう状況に囲まれて暮らしていると、それが当たり前だ、となって、既にその価値観の中に埋もれてしまうのではないだろうか。その囲まれた価値観に埋もれてしまえば、なにも心配なく生活ができる。それは快適な環境となる。脱出する気にもならないが、脱出した方が良いかも知れないという思考に至るには、かなりな時間と勇気が必要となる。

沖縄

 沖縄はアジア太平洋戦争で、本当に完膚なきまでにぶちこわされてしまった。そりゃもちろん米国の攻撃で破壊されたわけだけれど、沖縄は日本軍によっても無茶苦茶にされている。今でもその辺のことを書き記した書籍が出てくる。私たち内地に暮らす人間はほとんどその辺の事情を聞かされないできているので、改めて今75年前の様々な出来事を聞いたら、驚くことばかりだ。波照間島で3000人をこえる沖縄の人たちが死んでいる。それは「マラリア」で病死しているのだという。それがなんで戦争に関係するのかと思ったら、マラリアが蔓延するジャングルの中に、日本軍によって強制的に移住させられ、犠牲になったのだという。私たちが知らないで良いことではない。

沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る

沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る

  • 作者:大矢英代
  • 発売日: 2020/02/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

訃報

 宮城まり子が亡くなった。享年93歳。ねむの木学園を創設してもう半世紀を超えている。吉行淳之介のパートナーだったということは最近まで(といってももう20年ほど経つだろうか)知らなかった。どなたかが書いているものを読んでいて、二人はともに同じBMWにそれぞれ乗っていた、という事実を知った。
 彼女は戦後すぐのあの混乱期に歌手として活躍した。「ガード下の靴磨き」には幼かった私も泣かされた記憶がある。歌で覚えているのは多分最初は「毒消しやいらんかね」だろう。テレビ草創期にも随分活躍した。未だに彼女が演じていた「あんみつ姫」を思い出す。もちろん喜劇で、多分あれは生放送だったのではないだろうか。「うわっ!こんなところに"テビレ"がある!」という台詞を覚えている。多分あれはアドリブだろう。ひょっとするとこれは「てんてん娘」ってやつだったんだろうか。
 彼女が「ねむのき学園」を始めてからは芸能界からはほぼ引退だったといって良いだろう。ときどき、どこかのテレビ局がドキュメンタリーとして取り上げていたのを覚えている。その度に「随分見なかったけれど、元気なんだねぇ」と話していた。
 心の底から尊敬する人のおひとりだった。彼女のことは忘れないだろう。


毒消しゃ、いらんかネ 宮城まり子 SPレコード 蓄音機



ガード下の靴磨き