ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

井上ひさし

 井上ひさしが死んだのは2010年のことで、先月の9日でまる14年が経った。つきなみだけれど、あっという間だ。東日本震災の前だなんて。彼の書いたものに初めて触れたのは多分「話の特集」での連載で、なんとも変わった人だとは思っていたけれど、こんなにも遅筆で、こんなにも多作になるとは思いもよらなかった。なんとなく立花隆に通じるものがあるような気がする。天才は似通ったところがあるってことなんだろうか。



 雑誌「東京人」には「没後10年 井上ひさしの想像世界」という特集をした号がある(#431 2020 September)。とことんやる人なので、これ一冊読んだだけでも、井上ひさしの世界の広がりには目を瞠るものがある、というか、とんでもないので手が広がらない。数限りなくあるような気がする戯曲は舞台を見ないとわからない。東京裁判3部作とか、マンザナとか、見てみたいんだが、こまつ座はもうこれをやらないんだろうか。自分では観に行ったこともないのに無責任に云うがいつまでも公演してほしい。見てみたい。




 どこかで雑誌「東京人」#231 - 2006 September 特集「占領下の東京」の中で、井上ひさし半藤一利五百旗頭真と鼎談をしていると読んだ。隣の区の図書館で探したが、この近辺の「東京人」はなぜかさすがの隣の区の図書館でも蔵書にない。さればと、「日本の古本屋」で検索すると550円で売っていたので、ポチッと釦を押した。押したあとでなんとなく表紙に見覚えがあって、あれ?っと書棚や積み上げたものを点検する。やっぱりあった。気がついたらこの三人はもう皆さん鬼籍に入っている。
 もっと井上ひさしを所望。


なぜわが区立図書館では「東京人」がOPACで出てこないのか。

 わが区の図書館のOPACで雑誌「東京人」を検索するとなぜか過去2年分しか出てこない。それなら借り出せるんだけれど、それ以前のバックナンバーは蔵書としてはないように見える。おかしいなぁと思って雨の中行ってみた。二階に「郷土・資料調査室」というセクションがあり、その部屋の書棚に創刊号からズラッとならんでいる。なんだ、あるじゃないか、と思ったら、それが全部貸出禁止である。所々に背中に「貸出用」と貼られたものが挟まっている。手に取ってみると、貸出用の貼られた号は「館内用」がもう一部存在する。つまり複数存在する号は借りることができるのである。
 では、複数のコピーがある号とは一体なんだろうか。それは「この区に関連のあるもの」なのである。つまり、一部だけしかないものは「この区」には直接関係のない号である。じゃ、なんで「郷土・資料調査室」にあるのか。普通に考えれば、「この区に関係がある号」は「郷土・資料調査室」において貸出禁止にすればよいが、他の号は自由に貸出しすればよいのではないか。
このルールを設定した人の考えはそうではないらしい。

 雑誌「東京人」は「東京に関する雑誌だから」という理由で全冊抱え込んで保存するべきは東京都立図書館で良いのではないのか。大宅文庫でよいのではないのか。
 私が借り出してきた隣の区の図書館では、この雑誌はすべての号が揃っているわけではない。ある時期から急に蔵書するようになったようで、それはすべて貸し出ししている。

 「郷土・資料調査室」で、貸し出す、貸し出さない号の基準はなんですか?とお伺いしたら、とってもか細い声でボソボソとおしゃべりになるやんごとなさそうな女性が「ここではそれは答えられないので、あとから電話する」とおっしゃった。良く聞こえないので「はぁ?」「はあぁ?」と繰り返しながらようやくここまで来た。あとから家に電話がかかってきたがおんなじ調子だったから、もうそれ以上質問しなかった。年寄にははっきり喋って欲しいなぁ。これ以上、雑誌「東京人」を郷土資料として永久に保存するのはわが区でなくてよいのではないか、と言い争いをしたら、さぞかし「カスハラだ!」なんぞという扱いを受けることになるんだろう。
 それにしても「東京人」が郷土の資料になっちゃうなんて、ちょっと情けない。もっと重要な資料はたくさんありそうだ。

偶然に遭遇

4年前にNYCの美術館のカフェで食べたスープ。水と小さなクロワッサンとで15ドルだった。今だったら日本円に換算すると2,400円になる。


 いつものように図書館へ本の返却と、借り出しにいった。近頃はいっぺんにどっと借り、しかも一冊が大著だったりするので、丈夫な袋に入れてまるで担ぐようにしていく。ここのところ「東京人」のバックナンバーを借り出している。うちの区の図書館は前にも書いたように貸し出さない。そんな事をいってはなんだけれど、このたぐいの雑誌を後生大事に禁帯出にする意味がわからない。どんな理屈がついているのか聞いてみたい。



 いつものようにバスでふたつ停留所分を乗っていこうと、停留所にやってくると、バスは出た直後なのに、一人おじさんが立っている。すんでのところで乗り逃がしたのかなぁ、と思いつつ見ると、それが10数年来の友人だった。驚いた。彼は目が悪いのでこちらから声をかけないと気が付かない。どうしたの!と尋ねると、かかりつけの泌尿科医のところへ来たという。コロナ前、4年前の正月以降活動を停止して、昨年とうとう解散してしまったバンドで一緒だったドラムを担当していた。彼はアマチュアにしておくにはもったいないほどのしっかりしたドラムで、74歳の今でもいくつかのバンドで叩いている。一昨日に彼が加わっている二つのバンドのライブがあったと聞いていた。
 昔の仲間はどうしているのかと聞いて驚いた。ひとり還暦前にして亡くなったのは聞いていたが、数年脳腫瘍でこの先はないと聞いていたギタリストがとうとう他界。かつてはオリジナル曲を歌って某放送局の番組では人気沸騰していたデュオの人が脳梗塞で車椅子生活になってしまっているという。彼のデュオのパートナーだった医者は何年も前に脳腫瘍で他界している。こうしてみると、だれもかれもが循環器系の疾病で命を落とし、自由を失っている。それにしても、全員が私よりも若いのだ。

池の畔のベンチに憩う人たちが全員外国人の観光客、そんな日々

春から初夏へ

 どんどん気温が上がってきて、これではもはや初夏ともいえず、あっという間に夏になってしまったかの感あり。
 老猫も不自由な体をおして近寄ってくるんだけれど、なんだか昔と違ってずいぶん懐いてきたように思う。実は彼女は毛が変わる時期なので、撫でてくれ、ブラッシングしてくれといっているわけだ。ずいぶん頭が良くて、徹底的にブラッシングする人は嫌で優しくしてくれる人を選んで近寄ってきている。猫とはいえ、なかなか目端が利くやつだ。人間にもそっくりな行動をする人がいる。老猫も私も、そう先は永くはなかろう。

こんな国

衆院補欠選挙投票率は、東京15区40.70%、島根1区54.62%、長崎3区35.45%となり、いずれも過去最低(産経新聞2024/4/28 22:20)

 こんな状況のこの国の国政補選で、いくら補選は一概に投票率は下がる、とはいえ、あまりといえばあまりだ。もう民主主義なんて国民自身が投げ捨てている。愚かなり。

散歩

左の歩く人を右の人たちが全員カメラを構えて撮る、そしてそれを自転車の上からじっと見る


 天気は良いだよ。休日だ。いわゆるGWというやつだ。今となってはゴールデンだろうが、シルバーだろうがブロンズだろうが、なんの関係もない。ただの一日に過ぎない。しかし、街へ出るとなんとなくざわついている。それは遊びに来ている人たちが浮かれているからなんだろう。いつものペースでいつものテリトリーを動いている者にとっては何ら変わらないのに。

 商店街の定食屋に「定食はお一人様一食分はご注文して下さい。席数が少ないので食べない方の入店はご遠慮下さいませ」と表示がしてあった。丁寧なんだか、突き放してんだか、かなりの動揺が見られる。嫌がられたくはないが、はっきりいうことはいっておきたい、そんな気持ちがある。これを見た時に、思わず一人の外国人が「デミたまハンバーグ」を前にして、その周りを3人の連れが興味津々な顔をして、その人がハンバーグを口にするのを見守っているところを想像した。ラ・トウールの画のように蝋燭の灯りに照らし出されてね。


長髪


 ビートルズが世界的にデビューしたのは私が高校一年か、二年の頃だ。ちょうど多感な時期だ。マッシュルーム・カットとかいって、今から考えれば、とても長髪とはいえないようなもっこりした髪型が画期的だった。LOVE LOVE ME DO !なんて歌っていたわけだから当然感化されちゃって格好はVAN Jac.にかぶれていながら心情はビートルズに惹かれていったわけよ。だから、大学に入るやいなや髪の毛も長めになるね。すると、当然明治生まれの親父は気に入らないわけだ。「髪を切れ!」と怒鳴っていた。ある日、長姉が「あんた、髪の毛くらい、お父さんのいうことを聞きなさいよ」といった。「ばかやろう、髪の毛ぐらい親のいうことに逆らったっていいじゃないか、”ぐらい”というんだったら!」と言い返したもんだ。大学4年のクラブの定期演奏会の前夜にはそれほど長いわけじゃない髪の毛を、その姉が使っているホット・カーラーで巻いていった。仲間もほとんどは長い(といってもそれほどじゃない)髪をしていた。就職試験が始まったら、全員が七三に分けて学生服を来て面接に行った。
 くだらない抵抗だったわけだ。気がついたら、そんな髪の毛だって「なくなってみて初めて知る長い友」になっちまったよ。バリカンで刈り上げちまえば、洗髪も楽なもんさ。負け惜しみ。あ、髪の毛を失うってのは「負け」なのか。

 Evernote Japanが解散するっていっている。じゃ、なんでバージョンアップしてんだって話だよな。こっちゃ有料利用者だぞ!

ツツジ


 今やツツジが満開で、こうして見ると近所の道路の植え込みという植え込みはほとんどツツジで占められているというのがわかる。全部がツツジなのか、サツキなのか、カメリアなのか、私にはわからないけれど、とにかく、その種類の赤や白の花が咲いている。


 一時間に一本しか来ないバスが、平日にもかかわらずやけに混んでいて、ほとんどがどうやらこの路線に乗り慣れていない人のようで、一体なにごとならんと思っていた。隣の区の図書館の前の通りを歩く人達の数もいつもとは比べようもないくらいに多い。そこまで来てようやくわかったのは、大きな神社の境内にあるツツジの場所だ。多分あの一体が満開で年に一度の人でなんだろう。かつては出かけていって写真にしたものだったけれど、今はもう人混みが面倒くさくて、足を向ける気にならない。


 平日にこういうところへ足を向ける人たちの殆どは爺婆で、帰りのバスも沢山の人が停留所にならんでいた。