ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

"Picnic at Hanging Rock"

 京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターにはこれまで一度だけ調べ物があっていったことはあるが、大ホールに入って映画を見たことはこれまでに一度もなかった。大ホールといっても定員が300名ほどの規模である。ここのホールは開演30分前に開場される決まりになっているらしい。それまでの間、早めにやってきた人はどうしているのかというと一階ホールのエレベーター前に二列に立って並んでいるのである。それも、50人ほどの人が立つともうホールが一杯になってしまうので、その後にやってきた人達はロビーの一段高くなったところにぐるりと並んだ革張りのような椅子に座って待つ。つまり、後からきた方がゆったりと座って待っていることができるのである。その間ゆったりと本でも読んで待つことが可能だけれど、立って待っている方は辛い。そろそろ椅子に座れそうだ、という頃合いを見計らって入った方が賢明と云うことになるという不思議な現象である。
 国立演芸場の方は早く来た人が一階のロビーにある椅子に座って待ち、その後から来た人が立って並ぶというシステムで、こちらは「早いが勝ち」システムになっていて、何となく納得ができる。
 どちらの会場もエレベーターもあるが、「はい、上がって下さい」といわれると普通の二階に上がるよりもたくさんの階段を上がることになるが、列を作っていくので、エレベーターを利用できない。エレベーターでなくては上がれない人は並んでいた人達が一区切り付いてから、ということになる。フィルムセンターでは杖を突いた人まで階段を苦労して上がっていった。
 さて、開演30分前までに並んだ人のうちの第二陣の一員として席に着いたわけだから、映画が始まるまでに20分ほどの時間があり、その時点では客の入りはほぼ半分くらいではないだろうか。もちろん後ろの方から埋まるが、不思議なことにこの時点で一番前に座る人がちらほらいる。これはどういう意図によるものか、私には理解ができない。見た目は綺麗な映画ホールだけれども、椅子に座ってみると見た目と違って座り心地はあまり良くない。ちょっとがっかり。開演直前には席は9割方埋まり、ほぼ真ん中からちょっと前に座った私の両脇はおじさんとお姉さんが座ってそのあたりは席が埋まっていた。35mmの映画で普通の音響だから、古い映画の印象は否めない。こうして考えると映画産業の技術革新は甚だしいものがあるわけで、大資本によるシネコンに振り回される仕組みの一端が窺える。
 映画は「Picnic at Hanging Rock」。原作は1967年に出版された小説で著者はJoan Lindsayである。Hanging Rockというのはビクトリア州にある景勝地で、映画の中でも語られるが、非常に粘性の高い溶岩が吹き出したことによって形成せられた岩である。なんだか、妙義山のような、あるいは映画「未知との遭遇」に出てきたあの岩山のような雰囲気も持っている。時代の設定は1900年。舞台はAppleyard Colledgeという女性のためのボーディング・スクールである。St.Valentien’s Dayの朝、生徒達は5頭立ての馬車でHanging Rockにピクニックに出かける。その場所で三人の生徒と一人の教師が行方不明となってしまう。その結果、このボーディング・スクールは親が心配して生徒を引き上げはじめ、いろいろなことが起きるという話である。映画の制作会社の住所がシドニーのチャッツウッドになっていたのには思わず苦笑い。
 著者はこの後1987年に“The Secret of Hanging Rock”という本を著しているそうである。どうやらこの著書は豪州に於いてはよく知られた文学としても受け取られているようで、Google Australiaで検索をかけてみると多くの学習者、研究者による論文、thesisがヒットする。
 映画はメルボルンにあるthe Australian Centre for the Moving Imageでも今年の6月に上映されているし、この小説の音声版はABCショップでCD3枚に朗読版となって売られている。A$35.99である。日本円にするとおおよそ3250円ほどだけれども、これが相場として高いのか、安いのか私には分からない。DVDはディレクターズ・カットがアマゾン・ジャパンで4179円である。通常アマゾン・ジャパンのDVDのサイトがそうなのかどうなのか分からないが、カスタマー・レビューに五人の人が書き込んでいるのは興味深いものがあった。
 この映画で監督を担当したのはPeter Weirで、彼はこの後次々にヒット作を生み出している。ロビン・ウィリアムスの「Dead Poets Society いまを生きる」、ハリソン・フォードの「刑事ジョン・ブック 目撃者」、ジム・キャリーの「トゥルーマン・ショー」、なんだかなぁと思った「モスキート・コースト」等々、枚挙にいとまがない。

参議院予算委員会

 民主党浅尾慶一郎の質問に本当にまともに答えようとしない、あるいはまともに答えてしまっては後々に差し支えると思っている閣僚達は国家公務員の擁護者で、霞ヶ関と永田町の相思相愛、互恵システムが実に明瞭。その後の自民党の吉村某の奥歯に物の挟まった意見陳述にはイライラする。「あんたはまさかこの前のあほったれ総理のように参議院を無視するようなことはしないんだろうね、え、安倍君?」と直裁に訊けばよいものを、あぁだ、こうだとひねくり回しやがって。しかし、こんなことは党内でやりとりして欲しいものだけれども、やれないんだろうなぁ。

教育再生会議

 「教育再生会議有識者メンバー:浅利慶太劇団四季代表)、池田守男(資生堂相談役)=座長代理、海老名香葉子(エッセイスト)、小野元之(日本学術振興会理事長)、陰山英男立命館小副校長)、葛西敬之JR東海会長)、門川大作京都市教育長)、川勝平太国際日本文化研究センター教授)、小谷実可子日本オリンピック委員会理事)、小宮山宏(東大総長)、品川裕香(教育ジャーナリスト)、白石真澄東洋大教授)、張富士夫トヨタ自動車会長)、中嶋嶺雄国際教養大学長)、野依良治理化学研究所理事長)=座長、義家弘介横浜市教育委員)、渡辺美樹ワタミ社長)(50音順、敬称略)朝日新聞2006年10月10日11時09分

 私は全国どこででも同じ「レベル」の教育を受けられることが重要だと思っている。これはあくまでも理想で、多分実現は不可能な話ではあろうけれども、飽くまでもここに向かって日夜努力していくことが必要だと思っている。公立の学校まで、教育を受ける側に学校の選択権を公に与えてしまうのは、これまさしく教育の荒廃を招くと考えている。今回の自民党総裁選のようなことが確実に起きる。自分が義務教育時代に越境通学していたことを棚に上げていうのだけれど、私立学校については選択ができるのだからそれでよい。それにしても渡辺美樹が入っていることには驚いた。来春までに一応の提言を、というのはやっぱり現実的には無理な話で、メンバーがどんな人になろうと結果としては自民党文科省の想定している結論に誘導されるに決まっているんだから、相変わらずの「見た目一応格好つける」会議にはかわりない。厚労省の審議会で、これまでに何回も見せて頂いた旧来の手法である。
 毎日新聞の社説もこのように警鐘を鳴らしている。

 再び首相直属機関として登場した再生会議は、当面来春めどの中間報告に向け「学校の外部評価」「教員免許の更新制度」「全国的な学力調査実施」などを論議するという。これらは類似制度があったり、文部科学省が既に決定や検討をしている事柄で、創造的な提言とはなりにくい。もし来夏の参院選を前に刺激的な論議や提起は避け、選挙後に先送り、と考えているとしたら大きな誤りだ。(毎日新聞 社説 2006年10月12日 0時57分)

竹入義勝氏

 いつの頃からか、創価学会が往年の書記長だった竹入義勝を攻撃の的にしているという話を聞いて、一体全体何があったのかと、いぶかしいままだった。1998年の8-9月に竹入元書記長が「秘話 55年体制のはざまで 」という回顧録朝日新聞に連載し、そこで創価学会公明党の関係をつまびらかにしたことがそもそものはじまりのようである。なぜその連載が全く私の記憶にないのかと思ったら、まさにその頃、私は日本にいなかったのだった。今とは違って海外にいて日本の新聞各紙のウェブ版が簡単に読める環境ではなかったから、OCS(「新聞普及会」とかいう不思議な名前が付いていたクーリエ・サービスである)に申し込んで送って貰う新聞が事務所に送られてくる状態で精一杯だった。しかも、その新聞も上司が家に持って行ってしまうから、読めるのは一週間後という状況。取っていたのは日経と経済紙だけだった。そういえば、この頃の出来事をもう一回縮刷版でおさらいしておく必要があるかも知れない。