ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

nsw20722006-10-11

【写真:朝7時にはこんな良い天気】→ 結局雨降らないじゃん!
猫はいよいよしつこい。午前3時半に腹が減ったと起こされ、次は5時半に起こされた。おかげでTBSラジオの深夜放送、爆笑問題は生番組ではなく、収録番組であることを知る。その後の今月から始まった「タカアンドトシ」は生だそうだ。

豪州フィルム・フェスティバル

 東京国立近代美術館フィルムセンター(京橋)で先週から豪州映画が毎日二本上映(豪州映画祭)されているという。今年は日豪交流年2006ということになっていて、その記念の行事である。なんで今年が日本とオーストラリアの交流年なんだろうというと、今年が日豪友好協力基本条約の署名30周年にあたる、ということから目立たないながらもいくつかの行事が一年を通して行われてきた。残念ながら日本と豪州の間には経済的な繋がり、石炭、鉄鉱石、天然ガスの鉱物資源の輸入を中心にした原材料貿易くらいしか目に付かなくてあまり身近でない。市民レベルでいえばBSEのおかげで牛肉が注目を浴びたくらいで、ほとんどの一般市民にとっては観光地として捉えられているくらいである。その鉄鉱石や石炭もそれまでの米国からの輸入から切り換えることになったのも1960年代に調査が始まったくらいで、その歴史は大変に浅い。それまでは豪州自身もアジアに目を向けていなかった。
 そんなことも今の青年達にはあまり気にならないようだ。ワーキング・ホリデイ・ビザで一年間過ごす人達もほとんどそれまでの経緯を気にしていないように見える。逆に出かけてくるオージーの若者も気にしていない。しかし、二国間の歴史を知らずに、そしてその歴史によって嫌な思いをした人達の存在を知らずに暮らすことは、歴史に学ぶという貴重なチャンスを放棄するということではないだろうか。

ハワイ 自転車 100マイル

 先日ハワイで行われた自転車の100マイルロードレースに友人の一人が参加した。何ヶ月前からやたらに自転車で仕事に通っていたからいったい何を思い立ったのだろうかと思っていたら、このレースに参加するという。私より一回り若いというのは大いに力になるんだろうとは思っていたけれど、なんといっても160kmを走りきるというのはとんでもないことだなぁと思っていた。その様子はウェブ上でしか見られなかったのだけれど、未明の午前0時45分からテレビ朝日の「草野☆キッド」という番組で浅草キッドの二人がこのレースに参加した様子を放映。前半の80kmを走りきるだけでも彼らは3時間半かかり、後はやめたいといったくらい。最年長は80才を過ぎていて、家族三代がいっぺんに参加しているというのだ。玉袋は60歳のライダーに煽られる。帰国後風邪を引いて寝込んでいる友人の苦労が偲ばれる。そういえば彼は仕事が佳境といっていたんじゃなかったっけ?人のことは云えないが。自転車で会社に通ったこともあったけれど、あの時、私は一体いくつだったんだろうか。

伊豆 吉佐美

 静岡と清水の間に日本平という山がある。海側に徳川家康久能山がある。そこにあったホテルが今どんな状態になっているのかと思ってググっていた。すると「じゃらん」かなんかのサイトに行き着いて、サイドバーに伊豆の地名が出ていた。不意に想い出したのは40年以上昔に行ったとんでもなく水の澄んだ、そして誰も人のいない白い砂の浜であった。なんという地名だったのかが想い出せないのは今や別段なんとも思わなくなったのは悲しいが、yahooの地図の下田近辺を出して捜す。あった。
 多分これだ、というのは「吉佐美」だ。2000年の8月にいったという人の写真を見つけた。この人は「堤防があって良くない」「普通だと思ったけれど、その水の綺麗さにおどろい」ている。40年以上前には堤防はなかった。その代わりに砂丘のようになっていてそこにのぼるまでは海が見渡せない。ということは浜辺に降りると後ろからの視線が遮られているということである。なんだかプライベート・ビーチのような状態になるのだった。この方の写真でも分かるのだけれども、遠浅の白い砂浜は日本ではないような気分にさせる。今も海の家のようなものが見られないような気がするが、当時は全く何もなかった。たった一軒小屋がけがあっただけである。しかも、その時その砂浜には多分われわれ一行だけだったような記憶がある。海の中に入って泳ぎはじめるとどこまで行っても砂の海底が見えている。自分が腕を動かしてできる泡が汚いという気にすらなるくらいだった。あれ以前にも、あれ以降にもあれほどの美しい海は日本ではあれだけだった。
 豪州ニュー・サウス・ウェールズ州のアンナ・ビーチはすごい。

The Doors

ぼぉ〜っとしてラジオを流していたら突然彼らのLight My Fireが鳴りだした。今から聴くとこれがとてもロックのジャンルには入らないよなぁというほどのイージーリスニングである。1960年代の末期にはこれが大変にエキセントリックなロックのひとつだったんだから世の中はどんどんきつい刺激の中に突入していくわけなんだなぁと改めて思い知る。この曲をコピーしていた時のあの陶酔感というのは宗教的な陶酔感とも重なるものがありますなぁ。これをリクエストしたリスナーは「朝晩が爽やかで秋を感じますね」と書いてきたというのだから、ね、世の中変わったのだ。