ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ヴィヨンの妻

 試写に呼んでくれた人がいて、根岸吉太郎監督の「ヴィヨンの妻」を見た。東宝の本社試写室である。かつての芸術劇場の上にあった頃一度事務所にあがったことがあったけれど、あの頃に比べたら月とすっぽん、焼け跡の呑み屋とフレンチレストランの違いくらいに違っていて大変に驚いた。50席ほどの試写室は若い人たちで満席だった。
 太宰治生誕百周年の今年に封切られることに意味があるんだろう。私が太宰を読んだのは多分高校生時代のことで、それ以来一頁も開けたことがないから殆どすべてを忘れていて、太宰を語るには全く資格がない人間。太宰をこよなく愛する、あるいは是として心に置いてきた人にとってはこの作品は原作者としてクレジットされていてもなにやらごった煮のような気のするものとなってしまっているんじゃないかといらぬ心配をする。
 何回も書いているように私は近頃は小説を全く読まないし、テレビのドラマに至っては全く関心がないので、そもそもこの映画を見ることすら自分では思いもよらなかったくらいだから、素直にこの映画に自分を溶け込ませることができない。これがハリウッド映画だと普通に自分を落とし込めるのがなんでなのかが非常に不思議だ。
 口幅ったいことをいわせていただくと豪華絢爛のキャストとはいうけれど、私には「上手い!」と思わせる瞬間がそんなにたくさんあったわけではなくて、わずかに松たか子の表情にそのうまさを感じたくらいであった。浅野君は初めて見た時となんにも変わっていないという印象だ。
 ここまで書いてきて、あぁ、私はこの映画を見るには資格不足だったと反省するばかりだ。
 自分のかみさんを好きなんだけれど、よその女にちょっかい出しては、しらふに戻り、逆にかみさんの行動を執拗に見てはそんな自分に情けなくなってしまったり、どうしてしっかりしている女ばっかり出てくるんだろうかと男の本質というか、サガというか、そんなものを目の前に拡げられたって、そうそう、そうなんだよと賛同を表す気もないし、だからなんだよと居直るほどの力強さもないんだよなぁ。霧雨が降っていてホッとしたよ。これでかんかん照りの鰯雲かなんかが浮かんでいる高い秋の空だったらますます首うなだれるぞ。


Musikalische Exequien

Musikalische Exequien

 山野楽器に寄って昨日OTTAVA con brioでかかったHeinrich SchutzのCDを探す。なんせ日頃ここでクラッシックを買うということが殆どないのでそもそもシュッツがどこに並んでいるのか見当がつかない。当然のつもりで宗教歌の棚に行くが全くない。少しずつ移動して、ようやくバロックの棚に発見。どっと並んでいてなかなか良い値段がついている。一番へたくそな買い方なんだろうけれど、自分にとってメリットのあるであろうもの(要するに安いもの)を二点選ぶ。わからないやつは必ずや失敗するんだろうなぁと思いながらである。
 教文館に入って週刊金曜日とどなたかが書いておられたエルマガジン発行のミーツリージョナル別冊「東京通本」を入手。滅多に行かない街の呑み屋ばかりが出ている。多分行かないだろうけれど、定年後の爺さんたちがこの本片手に巡っているところに遭遇しそうだ。
 時間はずれたけれど、一丁目の三州屋に入って海老フライ定食を食べる。ここのは初めて。1時半を過ぎた雨の金曜日だからか、がらがらである。雨は傘を差しても良いし、差さなくても良いという霧のような状態。京橋まで来るとブラザー工業のビルが盛んに工事中であるが、角の京橋三丁目ビルも早晩解体されるのだそうだ。そうなると片倉のビルだけが残ることになるのか。甘味処のあづまが閉店した後、無残にも看板がはぎ取られた状態になっていて痛々しい。流石に今日はビッグイシューの売り手は出ていない。

どちらが

 今朝早く目がさめてしまって我慢していたんだけれど6時頃にはパンを焼いて朝飯を食してしまった。ついでに音声を消したままテレビをつけていてCNNjを見ていたらタイトルが「Who's the kidnapper?」と書いてあって赤いシャツを着た日系女性と覚しきレポーターが日本の警察署の前で両手を振り回しながら興奮気味に話している。
 そのうち場面が切り替わったら「Yanagawa」と書いてある。一体なんのことやらとググってみるとテネシー州で暮らしていた米国人男性と日本人女性が離婚して、奥さんが二人の子どもを連れて日本に帰ってきてしまった。テネシー州では男性に養育権が承認されていたということで、逆に日本人元妻が誘拐犯ということになっているんだそうだ。
 ところがこの元旦那が日本にやってきて「登校途中の子供を女性から奪い去った。男性は保護を求めようとした米総領事館の前で、女性の連絡を受けた警察に逮捕された【ワシントン時事(2009/09/30-09:36)】」という話だ。
 国際結婚が破綻した夫婦間の子どもの扱いを定めて1980年に採択された「ハーグ条約」を日本政府が批准していないので日米間でその解釈にずれがあるという問題なんだそうだ。日本では殆ど話題になっていないところに持ってきて、突然CNNの画面でそんなのが映ったらやっぱりびっくりだ。
 多分日本のスポーツニュースを見てイチローの話が毎日出てくるのに米人はびっくりするのと一緒だね、きっと。

じゃ、今までは

またまた八ッ場ダムの話で恐縮だ。
 産経新聞が【主張】でこう書いている。

 国民生活に必要不可欠な公共事業はある。八ツ場ダム建設には流域6都県が賛成し、一部反対派の差し止め請求も3つの地裁判決で却下されている。そうした現実を踏まえて治水・利水面の効果を評価し直す作業が必要だ。
 国交相は中止を決めた根拠と事後対策について、具体的かつ詳細に示す責任がある。かたくなな姿勢を改め、住民をはじめ地元関係者の声にも謙虚に耳を傾けて、冷静な立場から再検討することを強く求めたい。最終判断はそれからでも遅くはない。
 過去の政策手法や事業の抜本見直しは新政権に期待されるが、原理原則を振り回すだけでは国民の理解は決して得られない。(msn産経ニュース 2009.10.2 03:00)

 話の向きは真っ逆さまで、彼等には多分これから先ついてこられない。民主党政権がいやでいやで堪らなくて、早く自民党政権に戻って欲しい気持ちが良く表れている。国民生活に必要不可欠であるならば地元民がどんなに反対であろうとそれは「一部」という扱いになってしまって、実行すべきだというのがこれまでのこうした公共事業と言われるプロジェクトに向き合うべき国民の姿勢であるというのがおおよそ、お上の姿勢であった。今更持ち出すなよといわれるかも知れないが、これだけ羽田が拡張されて従前の何倍ものキャパシティーを持った飛行場になるんだというのは、三里塚の農民を足蹴にしながら測量を強行し、官憲の力を持って反対派を排除したのはあれはなんだったのか。流域6都県のためには反対する勢力は非国民だというスタンスはもうおしまい。
 広島・鞆の浦の地裁判決に関して「環境と同様に景観への影響を計画段階から精査し、住民とこまやかに対話を重ねながら事業の妥当性を慎重に検討する姿勢が、今後さらに強く求められると言える(msn産経ニュース2009.10.1 12:38)」と書いた産経新聞なら、ここでもう一歩踏み込んで相対してみたら如何か。まさか鞆の浦では宮崎駿の名前にびびっているわけではないだろう。
 話はまた逸れるけれど、かつて一度だけ、鞆の浦に行ったことがある。風光明媚という言葉がぴったりの「ひねもすのたりのたり」な光景を楽しんだことは楽しんだのだけれど、途中から嵐になって、なんだか決死隊のようにして帰ってきたことを思い出す。日本の漁村に良くある山が迫った湾に街ができているところで、この集落を迂回しようとするとずっと山の上を通っているバイパスを通るしかないという。関東でいってみれば真鶴半島の漁村といった風情だけれど、あっちはとっくのとうに海沿いにバイパスを走らせてしまって景観なんてものはどこ吹く風となっている。時代は変わったのだ。生活道路として使っている人たちは大変に苦労をしているはずだけれど、交通規制を上手く作ることに踏み切った方がよいと私は思う。よその人間が余計なことをいうな、といわれるかも知れないが。

追加:

 自民党谷垣禎一総裁は1日、日本経済新聞社などとのインタビューで、前原誠司国土交通相が建設中止を表明した八ツ場ダム(群馬県)について「やめることも選択肢だ」と述べ、本体工事の見送りを含め検討する必要があるとの認識を示した。
 谷垣氏は「治水、利水が実際に必要ないという判断が正しいのであれば」との前提で建設中止に理解を示した。そのうえで「地元住民の生活がかかったものをマニフェスト政権公約)に書いてあるとの理由だけで、政府がポンとやめるのは問題だ」と強調した。2日に現地を視察する。(NIKKEI.NET 20091002 00:33)