ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

転換期

 NHK総合テレビ日米安保議論を見てこう思ったのだ。
 もう米国が日米安保条約の枠組みの中でいつまでもわが国を守るために軍事行動を起こすとは誰も思っていないだろう。もし、北朝鮮がミサイルをわが国に対して発射したとしたら、米国が日本にそのためにおいていると日本政府が思っている米軍基地から出撃すると、今でも信じている日本国民がいるのだとしたらそれはたいへんにおめでたいといわれることになるだろう。
 それに、これから先の軍事的侵略があり得るとしたら、どんなに米軍が日本で訓練をしていたとしてもそれは機能しない。
 それでは自衛隊が機能するのか。もし、中国若しくは北朝鮮が日本の離島に上陸作戦を行うのだとしたら、海上保安庁若しくは海上自衛隊が駆けつけるのかもしれないけれど、多分間に合わなくて、上陸されてしまったあと、周囲にいて手をこまねくことになるだろう。しかし、どうみても国際的に不利な立場に立つのは日本ではないことは明確なことだ。
 つまりどういうことかというと、米軍が日本に駐留していることが日本という国を飽くまでも守り抜くということにはなり得ないということだ。
 余計な出費を削減していこう、訳のわからない金を遣うのはよそうというのであれば、米軍にはお引き取りを戴いて、まともな国になるべきだと思うけれど、そんなことになったら面倒だと思うのであれば、お金を払って居続けて貰えばよい。
 但し、私はもうそんな幻影に惑わされて無駄な金を他国にくれてやり続けるのはもうたくさんだと思うのだ。

リクライニング・シート

 え〜っと、私にとってこの手の椅子は全然意味を持たないんである。なんでか?倒すと後ろの人のスペースが少なくなってしまうからである。それは私が勝手にその人のスペースを奪っているということになるからである。だから、いつも思っている。なんでこんな椅子を造り、備え付けるのか、と。バスツアーに参加すると「リクライニング・シートのご利用はご遠慮下さい」といわれるのが常だ。じゃ、なんでこんなバスを使っているんだろう。都バスのような固定の椅子で良いじゃないか。いや、それで良いんだけれど、そんなバスを作っちゃいないんだろうな。
 飛行機に乗ってもリクライニングを倒さないのである。それは自分の前の人が思いっきり倒してきた時に、トイレに出るのに難儀をすることがわかっているから自分はしないのである。しかし、他人がそこにある設備を自分の好き勝手に使うのはかってなので、概ね飛行機に乗っている間、前の人は私の目の前に思いっきり倒してくるんである。
 だから、私はどうするのかと思うとトイレに出る時に思いっきりその前の人が倒したシートの先端をグイッと掴んで支えにして出ていくのである。その方が「なんだよ!」という顔をしようがそんなことはお構いなしなんである。そうなるくらいは想像して倒せよと、私は心の中で呟くのである。
 いやな爺だと思われているんだろうけれど、そりゃあぁたの所為なんだぜ。
 なんで、あんな椅子がついているんだろうね。

少年殺人犯

 集英社インターナショナルtwitterが《戦後の犯罪統計を見ると、もっとも殺人を犯す比率の高いのは──これは言いたくなかったけれど、団塊の世代なのです。それを棚に上げて「今どきの子どもは」と言う》と書いた。
 団塊の世代としてはそりゃもちろんカチッとくる。多分これを書いた人は団塊世代よりは若い世代で、むしろ「今時の子ども」により近いと自負している年代の筈だ。「そう判断する出典はなんですか?」とお伺いしたところ、Wikipediaをあげる。全く私のような発想だ。そこからつながってきたのは「戦前の少年犯罪」という本を書いた方のサイトに掲げられた数字である。
 ただ、残念なことに世代別に上げたデーターというのはこの著者の方がまとめた数字で、そのままどこかにそれがエビデンスを持って書かれていたわけではない。警察庁の「犯罪統計書」から各暦年の未成年者による殺人犯検挙数を拾い、当該少年人口10万人あたりに置き換えた数字で比較している。→ こちら
 それによると、1945年以降、つまり終戦後の混乱期から1972年にいたる間が最も数字が高く、そのピークは1951年の2.55人/10万人となる。
 この年は19歳が1932年生まれ、つまり終戦時に13歳だったということになる。
 一方、団塊の世代というのは1947-49年生まれを差すのが常識的であるが、彼等(私も含まれるのだけれど)のうち最も若い1949年生まれが成人したのが1969年にあたる。
 つまり、集英社インターナショナルが指摘した「もっとも殺人を犯す比率が高いのは団塊の世代」という解釈は間違っていて、むしろ、それは戦後の混乱期から高度経済成長が安定期を迎えるまでの期間に凶悪犯罪が少年にまで高かった、という解釈をするべきだったのではないだろうか。
 このデーターは該当する少年人口10万人あたりに何人が殺人を犯して検挙されたのかという人数を意味する点をもう一度考えると、絶対的な人数の多かった世代においてはその犯罪者の絶対的人数はより多くなるわけで、そのピーク時には448人が検挙されている。
 もうひとつ問題なのは、集英社インターナショナルが「もっとも殺人を犯す比率の高いのは団塊の世代なのです」と現在形で書いていることにある。団塊の世代年代を含む1925年から1959年に生まれた年代が少年期に少年殺人が多かった、と表現するのであれば、それは大正解だけれど、「殺人を犯す」と現在以降の時節にして表現したのは大きな間違いである。

2010年12月10日のツイート