ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

街には一杯の人

 正月二日になって初めて家を出て、郵便局に切手を買いにいく。気がついたら今日は日曜日だから大きい郵便局の方まで行ったけれど、休日窓口しか開いていなくて、切手をいちいち貼っている場所がないから、一旦うちに持ち帰って葉書に貼って出した。
 街は大変な人出で、裏通りにまでよそのナンバープレイトの乗用車が溢れていてさぞかし街の中心部はごった返したような人で一杯なんだろう。もう何年もこの時期の街の中心部には行ったことがない。地元のその中心になる神社にも、自分の宗教上の理由があるせいもあるけれど、この時期に入ったことがない。
 多分街中に来られる方々の方が、こんなところに住んでいる私よりもよっぽど正月らしい一日を過ごしていることだろう。
 日頃は滅多に昼日中に歩かないところを通ったら、なんだか時代に取り残されたような夜の商売の店と覚しき建物に気がついた。もう何もしていないんだろう、と思うのが当たり前のようだけれど、良く見ると店のお休みの予定でも書いて貼ったようなビラが見えるので、ひょっとしたら現役の店のようだ。昔この近所のバーに友だちと入ったことが2-3回あったけれど、今じゃもう酒を呑まないし、この辺をそんな目で歩くこともないからとんと縁がない。正月だからこそ気がついたのかもしれないな。

箱根駅伝第一日目

 18年くらい昔の話。中学を卒業する年の息子と二人で、1月2日の午前0時に家を出発して横浜の私の実家まで歩き始めた。約35kmほどの行程である。当時、まだオヤジもおふくろも健在だったから、毎年正月の2日に孫までが集まって新年の会食をする。連れあいと娘があとから車で来て、帰りは車で帰ることになっていた。冬の夜中に歩き出すのだから、結構寒くて辛いものがあるけれど、とにかくやり遂げるということをしたかった。午前4時くらいに大森あたりまで来たのだけれど、どうにも疲れて、終夜営業のファミリー・レストランで一休みした。
 そこから先がやけに長かった。午前9時くらいに鶴見川近くまでやってきて、ようやく横浜市が近いぞと思ったあたりで、駅伝がやってきた。なにしろ2区に襷が渡って直ぐだったから、まぁ、早い、早い!あっという間に通り過ぎていってしまった。俺たちはこんなに苦労してようやくここまで来たっていうのになぁと思った。
 そこからの京浜国道は単調である。面白い景色はひとつもない。あとは勢いでいくしかない。「あぁ、ふぅ、はぁ、ふぅ」てなもんで青息吐息だった。それでも完歩したという達成感は確かにあった。あれ以降まだまだいろいろなことがあった。そうして考えて見るとわがやも今でこそこんなにまったりしているけれど、いろいろあったんだなぁと、箱根駅伝を見ると考えるのだ。
 結局、東洋大の柏原が早稲田の猪俣を追い込んで27秒の差をつけて逆転。しかし、早稲田の渡辺監督は「この程度の差で終わって、してやったり」と復路6区での逆転に自信のインタビューだった。社会人は何でもトヨタで、大学は何でも早稲田か。

 NHKのニュースから

国学院大学の選手に伴走していた車がハンドル操作を誤って、沿道で応援をしていた、いずれも50代の観客の男性3人と接触しました。3人は足に打撲などの軽いけが

 やや、こりゃまずいことになっている。ところが

「走行中に道路の右側から人が飛び出して来たので、よけようと思い、ハンドルを切ったら左側の沿道の人に接触してしまった」

 と説明しているんだそうだ。これが本当だとすると、これは一気に複雑になってくる。右から出てきた人の動きを主催者は管理する責任があるはずで、この場合車の運転をしていた人の100%の過失とは言い難いだろう。取り敢えずこの3人の50代の治療費は一体全体誰が負担するべきものなんだろうか。右から飛びだしてきた人間か。運転していた人か。沿道にボ〜ッと立っていた人か(いくら何でもそりゃないか)、関東学生陸上競技連盟なんだろうか。

宗教系サッカーチーム

 昨年の11月13日に国立競技場で2010AFCチャンピオンズリーグ決勝の試合ってのがあったんだそうで、うちの愚息が切符が当たったから見に行ったら、なんとその座席が指定席になっていて、片っ方が宗教系企業がスポンサーになっているチームで、辺り一帯がその人達が多くいるあたりだったらしい。かなり早いうちからやってきて、みんなして弁当を拡げていたりして、全くいつものサッカーの客席と異なる雰囲気で、驚いたという話をしていたんだけれど、そんなチームがあること自体に驚いたんだけれど、あの宗教だったらあり得る話だなぁと思ったものだ。やっぱり世の中は広いんだよね。

初夢

 元日は、夜の10時半にはとても眠くて我慢ができなくて、とうとう寝てしまった。私は寝しなにいつも小さなラジオをイヤフォンで聴きながら寝るのだけれど、このラジオがテレビ音声も取れるので(当然今年の7月で終わる)これで何を聴こうか捜していたらNHK教育テレビで、何度目かわからないけれど、ハーヴァード大学マイケル・サンデル先生の「JUSTICE」の授業をまたやっていた。
 ははぁ、友だちがいっていたのはこれなんだなと、ならしながらそのまま寝付いてしまったらしい。これが延々と午前4時過ぎまでやっていたらしい。私のラジオは1.5時間経つと自動的に切れるように設定してあるので多分午前0時くらいに切れたはずだ。
 多分にそれが影響していたんだろうけれど、夢の中で私は生まれて初めての東大の本郷に入るのである。何でもサンデル先生の講義があるとかで、潜ることにしたのだ。で、その授業というのは別に特別な授業ではないみたいで、いつもの授業なんである。で、私が潜っていても誰も何もいわないし、しまいには手を挙げて質問までしたし、先生がご自分の研究室に帰るのに同行して、ずっと質問しているんだけれど、先生はその間もずっと授業と同じペースで喋り続けるんである。もうまったくずっと、それも日本語で喋り続けるんである。研究室にいってみると、それは食堂や本屋、あるいは学生のたまり場的な施設が固まった平屋建ての建物の中にあって、なんとサンデル先生はまるで高校の教員室のようなだだっ広いところに大きなデスクを持っていて、周りが書棚で囲まれているという、およそ大学の先生の研究室とはとてもいえないようなところにいるんである。
 で、結局お話をお伺いして「先生、また来ます」と私は研究室を辞して、本屋で先生の著作を買うんだけれど、そのお釣りがなんと米ドル、しかも全部コインで、まるで国会図書館のような透明のプラスティック・バッグに入れて渡されるのである。
 ハッと気がつくと外はもう夜で、早く帰らないと接続の電車がなくなるというので急いでバスに乗るのだけれど、なんだかそのバスはとても面倒なルートを取る。降りたところはだだっ広い広場で、その向こうの丘に電車の駅が見える。
 この初夢、何を意味しているんだろう。これまで避けて避けてきていたあのマイケル・サンデル先生の「JUSTICE」をいい加減買って読め、ということなんだろうか。あれだけ売れているというんだから、そろそろブックオフに出てもいい頃だと思うんだけれどなぁ。

2011年01月01日のツイート