ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

台風

 昨日から常にデスクトップ上に「東京アメッシュ」を表示しているのだけれど、とてもうまい具合にというか、間隙を縫ってというか、雨雲がわが家地域のあたりを避けていく。それはまるで魔法のようで、朝から、まともに当たったのは僅かに二度ほど、それも非常に短時間で、えっ!と思ったらやんでいたりするのだ。
 これがどこに現れるかわからない「ゲリラ」みたいだってことか?だとしたら、台風の時は昔からこうじゃなかった?台風が来ると学校が休校になったりして、夜中中親がラジオを鳴らしていたり、停電になっちゃったり、なんだかざわざわしていたものだった。尤もあの頃は被害が大きくなることが良くあったから無理もない。杉板の薄っぺらいのを持ってきて雨戸の上から打ち付けたりしたものだった。
 今はアルミサッシをがっちり閉めておきさえすれば、心配はベランダの鉢植え位のものだから、気楽に外の景色を見ていられるのが嘘のようだ。こんな風に暮らせるようになった代わりに主に情緒的なことがどんどんなくなった。それはもうしょうがないのかな。春先の風の強い日に一人で留守番していた心細さなんてもう思い出さなくなったものなぁ。

 歳を取ると毎日吞まなきゃならん薬なんてものが医者から示されまさぁ。なんだか高血圧とか、糖尿とか、コレステロールなんかの薬を飲んでいないと、年寄りとして一人前じゃないってな雰囲気がありますな。寄ると触ると、「薬、吞んでる?」でございますよ。
 私も2ヶ月ほど前からコレステロールの薬を飲むようになっちまいましてねぇ。吞んだ方が良いと医者に云われた時は、面倒くさいような、一人前になったかのような、複雑な心境でございましたなぁ。
 で、今日はそろそろ薬が切れてきていますしね、週末になっちまいますから、いつもの医者のところに行きましたとご覧じろ。いやぁ、一杯ですよ、待合室が。それも、私が一番の若手ですな。一番歳の方なんぞはついてきている息子夫婦と覚しき二人が私よりもどう見ても上でございますよ。てぇことは一体おいくつなんだろうと、びっくりです。
 かねて容易の佐高信著「石原莞爾」なんぞを読み始めましたが、とうとう眠くなり、眼をじっと閉じておったら多分5フンほどは寝たでしょうね、あれで。挙げ句の果てが、看護婦さんが「いつものお薬ですね?他になにかありますか?」とお尋ねでございますな。「いや、別に」といったらそれで終わりでございましてねぇ。とうとう医者の顔も見ずに処方箋を貰って1400いくらを払って、次は調剤薬局でございます。そうしたら、薬局の薬剤師の方が「ところで膝の方は如何です?痛くないですか?」って、そりゃ医者の仕事じゃねぇかという、近頃の年寄り、医者に通うの図でございますな。

書籍

 昨日出掛けたついでに八重洲ブックセンターへ行った。岩波書店の月刊「世界」がでているかと思ったのだけれど、あの雑誌の発売日は8日なんだと今頃知った。5階にあがって新書のところに行く。

 そうだ岩波新書で買おうと思っていたものがあったはずだと書棚を見て、思いだした。むのたけじの著書だった。彼がNHK100年インタビューで語ったことが概ね活字になっていると思って良いのかも知れない。

希望は絶望のど真ん中に (岩波新書)

希望は絶望のど真ん中に (岩波新書)

 私は時として岩波ジュニア新書の棚を覗くのだけれど、そういえばと思って眺めていると、そうそう、これも気になっていたんだと見付けたのは大津市の瀬田国民学校5年生の学級日誌を中心に戦争末期の子どもたちの生活を綴ったものだった。昭和前期の子どもたちはどの様に教育されて、どの様な意識を持っていたのかはこうして資料に基づかないともう想像すらできない。なにしろ60数年も前の出来事なのだから。そして、忘れてはいけないことばかりなのだ。
 ちょっと話は外れるけれど、5年生の学級日誌(絵付き)に身体検査の様子が書かれていて、座高を測る椅子がでていた。そうだ、そういえば昔は小学校では必ず座高を測っていたのだけれど、あれって意味があったのだろうか。いつも上半身の方が(つまり座高の方が)下半身よりも長くて、あぁやっぱり大和民族は足が短いんだなぁと思っていたのだけれど、それは「私」がそうだということだったのだ。今でも座高なんて測るのだろうか。


 広瀬隆の著作についてはこれまで随分たくさん読んできた。世界を牛耳ってきたユダヤ資本について書かれたもの、原爆関連のもの、軍需産業に関するもの。最近は集英社新書からアメリカ三部作を出していた。これは読んでおく必要があると思う。

原発の闇を暴く (集英社新書)

原発の闇を暴く (集英社新書)

イヤな予感

 なんの根拠もなくいだく「イヤな予感」というものがある。今回の野田佳彦新首相がちゃっちゃと谷垣・石原と山口・井上のコンビと意見交換をしたと報道している。そのイヤな予感というのは、彼が讀賣の悪者・渡邉恒夫の甘言に乗って自民・公明と大連立を組み、あっという間に小泉・竹中が全国民を振り回したのと同じ様に、大政翼賛会的展開を見せようとするのではないかというものだ。
 そういう体制を組めば、国民がどんな面倒くさいことをいおうが、何をしようが、東電救済がチャッチャと進み、経団連の思うような世界が実現するような気がするではないか。今からやいのやいのいっていくのではなくて、組閣がすんでから良く見極めようと江川紹子がいっていたけれど、私はそれでは遅いような気がする。

課題

 日本人で戦後外国へお嫁さんに行った人たちが今どんどん他界していっている。残っておられる方々ももう既に80代である。あの戦争に関する記憶をお持ちの方々がどんどん減って来ていて、残さなくてはいけないことが山盛りだ。米国では何冊かの「戦争花嫁」に関する書籍が刊行されているけれど、日本では関心は低い。テレビや映画で取り上げられることも限られている。ここでそれらのすべてを数え上げることができる位である。
 あの戦争中の日系米国人及び日本人の強制収容についてはいくつかの映画やテレビドラマ、ドキュメント番組のおかげで少しは知られてきたものの、こちらはみんなが苦しんでいた時に、日本を捨てて鬼畜米英といわれた勝ち組にくっついていったという視線に晒されて、見て見ないふりをされてきたといっても良いだろう。
昨日Amazonに発注した本が届いた。

Japanese War Brides in America: An Oral History

Japanese War Brides in America: An Oral History

Making Home From War: Stories of Japanese American Exile and Resettlement

Making Home From War: Stories of Japanese American Exile and Resettlement

2011年09月01日のツイート