ほぼ足りてまだ欲 その先

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放送法

衆 - 文化委員会 - 17号
昭和23年06月30日
冨吉國務大臣 ただいま議題となりました放送法案の提案理由を御説明申し上げます。
 現在の放送事業の主体でありまする社團法人日本放送協会は、民法の規定に基いて設立されておりますが、その施設については無線電信法の規定に基き逓信大臣の許可のもとに運営されておるのであります。しかし無線電信法の規定はきわめて簡單でありまして、殊に同法は事業を規律するものでありませんので、今日のごとく発達した放送事業を規制いたします上に、きわめて不備の点が多いばかりでなく、逓信大臣に包括的権限の委任をいたします点は、新憲法の精神にも副わないことにも相なるのであります。
 また放送事業は、現在におきましては事実上日本放送協会がその経営を独占しておるのでありますが、日本放送協会の性格は單なる私的機関たる民法上の社團法人にすぎないのでありまして、このような機関をして社会生活のあらゆる部面に重大なる影響力をもつている放送事業を、法律的な根拠もなく事実上独占せしめておくことは、これまた新憲法の精神に副わないのでありまして、この際日本放送協会の性格を公的な機関に改組して、國民全般の福祉に奉任せしめることを明定する必要があるばかりでなく、最近におきましては、新たに放送事業の経営を希望する向も多い実情からいたしまして、この際放送事業のあり方並びにこれの監督機構について、全般的にこれを法制化する必要が生じてまいつたのであります。
 かかる見地から今回放送法を制定せんといたしたのでありますが、本法案に規定してあります主要なる内容について申し上げれば、まず第一に放送政策に関する三原則といたしまして、一、放送事務が情報及び教育の手段として、また國民文化の媒体として、國民に最大の効用と福利をもたらすことを保障すること。二、放送を自由な表現の場として、その不偏不党と眞実と自律とを保障すること。三、放送に携わる者の國民に対する直接の職責を明らかにすることによつて、放送が健全なる民主主義に奉仕し、かつそれを育成するようにすることを明確にし、この法律の範囲内で番組編集、放送受信、表現等が自由であることを明らかにしたことであります。
 第二といたしましては、放送を規律し監督する行政機関として、総理府の外局たる放送委員会の設置を規定いたしましたことであります。すなわちこの委員会は、法律で定める権限の行使につきましては、まつたく独立してこれを行うこととし、電波監理の技術的事項以外は、他のいかなる機関、組織、團体等にも支配されないのでありまして、委員会を構成する委員数は五人とし、内閣総理大臣が國会の承認を経て任命する仕組といたしてあります。
 第三に、先ほど申し上げましたごとく、現在の社團法人日本放送協会を公的な機関に改組せんとすることであります。すなわち新協会は、この法律によつて設立する公的機関でありまして、協会の理事七人は放送委員会が國会の承認を経て任命するのであります。その他協会は営利行為を行うことができないこと、協会は聽取料を徴收することができるものであること、協会は基本金をもたず、社債によつて必要な資金を賄うものであること、また協会には課税しないこと等を決定いたしました次第であります。
 第四といたしましては、協会以外の者も、委員会の免許を受けて放送事業を行うことができる途を開いたのであります。これによりまして、日本に國籍を有しない者、外國政府またはその代表者等のごときものを除きましては、すべて法律の規定する條項により、審理の上放送局を開設することができるように規定したのであります。
 以上申し上げましたほか、放送に関する一般的制限事項、審理手続、不服の審理及び訴訟に関する事項並びに所要の罰則を規定いたしまするとともに、この法律施行後五年以内に、内閣総理大臣は特別の審議会を設置して、この法律の存続、改正または廃止についての勧告を求めんといたしましたことが本法案のおもなる條項となつております。
 以上本法案提案の趣旨及び法案の大要を御説明申し上げた次第でありますが、何とぞ十分御審議の上速やかに御賛成くださるようお願いいたします。(国会議事録より)

梅小路機関区

 京都にある蒸気機関車博物館だったのですが、かつては本当にここが機関車の格納庫になっていて、転車台がついていましたね。これが東海道線の沿線にありましたから、岡山の親の実家への往復時に見る事ができたんですね。あぁ、ようやくここまで来たか、と思ったものです。突然想い出しました。
 ところがここが昨年の8月30日付で閉館しているというのですよ。どういうことかと思ったら今年の4月26日に新たに「京都鉄道博物館」として始まるらしいのです。
 こちら

本当のところ

 こういうところに本音を書いて、公開するといろいろ問題があるんじゃないのか、という事で差し障りのないところを書いていくというやり方もあるんですが、それでは自分の本当の記録にならないなぁと思ったりしています。
 だから良いかと。
 憲法がどうだろうと解釈するのはかってだといわんばかりの安倍晋三のスタンスは驚いちゃうからね。

国会中継

 今日も衆議院予算委員会NHKがテレビとラジオで中継しています。今ではネット上で、衆議院参議院、それぞれに全会議を見る事ができます。
 昔の国会中継はまったく詰まりませんでした。質問する側も、答弁する側も事前に書かれたものを読み上げるだけみたいなモノでしたから、読み間違いの時くらいが面白かったくらいです。
 そこへ行くと安倍晋三が帰ってきてからこの国会中継が俄に面白くなりました。どう面白くなってきたかというと、すぐに切れてむちゃくちゃな事を言い始める、じゃ、お前たちが政権を持っていたときはこうだったじゃないか、そうじゃないぞと泥仕合になってしまったり、かつては極右翼しか口にしなかったような見解が政府答弁として出てきたりするので、油断がならないからだ。
 安倍晋三ってのは自分の立場がヤバくなると「そんな事は知りません、聴いていません、見ていません」といって遁走を計る。「個々のケースについてはコメントを差し控えます」といってどんどん逃げる。
 しかし、マスコミの世論調査にこたえる人たちはこんなものをまったく見た事がないんでしょうね。彼の本当の姿を見たら、とてもとても信頼なんてできる人間ではない事は簡単にわかります。
 やっぱり企業や団体からの政治献金というものはゼロでやらなくてはフェアな国家運営なんてあり得ないという事がよくわかります。
 政策議論になると、民主党の議員が「今の株価や為替の急変を見たら海外の要因に基づくんだというけれど、それはそうじゃなくて、アベノミクスが失敗しているからだ」といわれると「あんたたちがやっていたときに比べたら遥かに良いんだよ」といって切り返します。それは議論じゃないんですよね。日本の経済がもはや自助努力だけではやっていけなくなっているという現状を認めないとますます手遅れになる事は明らか。このままでいると、富裕層が「そんな事はないよ」という風潮の中多くの国民が貧困にあえぐ、という南米現象に陥ってしまいます。

PGA

 先週松山が優勝したPGAツアーの冠はWaste Managementフィニックス・オープンだった。前にもここに書いているけれど、このWaste Managementというのは随分変な名前な訳で、wasteっていうのはゴミです。塵芥ってやつです。それをマネージメントするという会社の名前です。
 日本ではゴミの収集は自治体の仕事と決まっているわけだけれど、米国では実際にゴミの収集をやっているのは民間の会社。米国には二大ネットワークがあって、そのひとつがこのWaste Managementという会社。もうひとつはBFIというBrowning-Ferris Industries社。
 ただ集めるだけではなくて、産廃処理からランドフィル、つまりゴミによる埋め立てまでやっている。日本でも産廃は民間が委託されて処理をしているけれど、その程度にはピンからキリまであってかなり国内各地で大きな問題を引き起こし続けてきた。
 日本でも実際の収集作業もかなり民間に委託されているのではないだろうか。収集車の塗装が委託されている業者とそうでないものとの区別がつかないのでそれがわからないだけだろうか。

さめる

 2013年頃に突如始まった私のオペラ熱はあっという間に行き詰まっています。なんでかっていいますと、オペラってのは歌舞伎と一緒で、テレビで見てもあんまり面白くない。今やWOWOWがニューヨークのMetropolitan Operaをフルで録画中継したりするんですが、大音響で聴く事ができないし、何しろ画面に臨場感がないんでござる。そして何よりの緊迫感がない訳ね。やっぱり音楽は生ものですから、生で見なくては心躍らない。そして何よりも集中する事ができないわけですよ。これは大きいよ!
 じゃ、生を聴きに良きゃ良いんだけれど、これには莫大(私にとって)な予算を計上しなくてはならないわけだ。となると、自然と足も遠のくのだな。やっぱりお金持ちの趣味なんですかねぇ。

2016年02月14日のツイート