ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

自宅でライブ

 前々からつれ合いの友人で自宅で定期的にライブを開いている人がいるとは聞いていたんです。この「自宅で」というのを聞いて、普通はどんなイメージをお持ちになりましょう?家族が楽器をちょろっとたしなむご家庭があって、家の洋間かなんかで、友達が集まってきらきら星に毛が生えたような合奏・・・そんな雰囲気を思い浮かべませんか?ま、みんなが知っているご家庭でいえば、皇居の方々が室内楽を奏でるといったような。
 ところが、今回初めて行ってみて、びっくりしました。元々そこのお宅は印刷だか、紙の問屋だか(ずいぶん違うようですが、紙を扱う・・・紙の裁断屋さん)ご商売をされていたので、一階がとても高さがあって、広いんです。その店のシャッターが完全に降りていて、そのシャッターを背にしてかなり広いステージが組んであります。そこには照明が本格的につけてあり、上からはモニターがぶら下がり、両翼には本格的なPAのスピーカーがどんと据えてあります。中央後ろには一段高いところにROLANDの電子ドラムがしつらえてあって、マイクは有線だけではなくて、ワイアレスもあり、16チャンネルぐらいありそうな卓が客席中央にセットされています。後ろにもPAのスピーカーが立っています。
 これを聞いただけで、普通のご家庭ではございませぬなぁ。もはやその辺のいい加減なライブハウスが下駄を散らかして逃げようというくらいのものでございます。その卓にはご主人が座ってらして、もう根っからの凝り性、というイメージでございます。
 バンドはつごう三つ出ましたが、ほとんどがアコースティック中心でございますが、もちろんエレ・アコあり、ピンマイクで拾っているものありで、電ベもかなり音を絞っておられます。多分内側に分厚いカーテンを回してございますが、全部電気ものの楽器構成だったら、音はダダ漏れしてしまいます。隣近所には多分いろいろお願いしているんでしょうねぇ。上手くいっていなくちゃこんなことはできないでしょう。何しろこういうことをやり出してから、今年で10年になるというのですから。
 で、お客様といったら、このおうちのお知り合いの方々で、どんなグループが何人で、こちらの席、と奥様(歌い手でもあるのですが)が仕切っておいでなんです。私だったら、みんなで譲り合ってねぇ!でおしまいにしてしまうんですが。なにしろ全部で50人はくだらないほどのお客さんなんです。
 そのお客様の中に、数年ぶりにお目にかかる方を発見。いやいや、なんで?とお互いに。いわれて気づく、彼は元はといえばこの町会だった!
 お客さんの年齢層はといったら、もちろんそのご夫婦の歳相応なので、昭和歌謡というか、フォークソング系真っ盛り。中に一曲ムード歌謡が反則でしたが。
 こんなお宅があるとは驚きました。

よかったね

 神社本庁が作った「私、日本人で良かった」のポスターで大写しになっていた女性が実は3万円ちょっとの使用料で使える、中国人モデルを撮影した、いわゆる「ありもの写真」だったとというのが判明して、当時担当した人は驚いたらしいけれど、これは実に良くあるパターンで、多分制作側はこの写真の他に何点か出したか、これだけだったかもしれないけれど、これでOKを取ったわけだろう。多分このコピーだって、制作側のコピーライーターが他にも何点か出してこれが通ったんだろう。
 当の担当者は「日本人でなくても、あくまでイメージなので大きな問題はないかとも思います」と答えたらしいけれど、神社本庁はどう思っているのかを知りたいものだ。
 そうそう、このコピーのあとに「世界人で良かった」をとってつけたりすれば良いんじゃないの?「私、日本人で良かった、世界人で良かった!」とか、「私、中国人だけれど、日本人も、世界の人もみんな良かった」とかにすれば。
 だいたい、日本人で良かったなぁと思うのは居酒屋でオダをあげていても誰にも襲われないってことと、一部のものを除けば、だいたい、食べ物のほとんどが口に合うってことじゃないかなぁ。
 良かった、良かった!
 これを安倍晋三にコメントさせてみたいね。あ、金田法相でもでも、可!

 何年か前にこの症状でずいぶん苦しんだのだけれど、ハッと気がつくとまた耳の聞こえがなんだか良くないのです。それで耳鼻咽喉科へ行くと「あぁ、細いですからねぇ」と云いながら先生が両方の耳を見ながら「はい、そこへ横になって」といって両方の耳に生暖かい液体を入れて「はい、抑えて向こうの椅子で座っていて下さいね」と。
 土曜日はとても混むんだそうで、確かに並んでいます。耳鼻咽喉科というのはとても守備範囲が広くて、のどが痛いといってくる風邪っぴきだっているわけだし、鼻炎だといってくる花粉症の人がいて、ぴぃぴぃ泣いている幼児までいるわけで、こりゃ大変ですよ。
 3年前までは半年に一度はこの先生のところへ通っていたわけですよ。なにしろ、先生が見ると、「やっぱり鼓膜が見えないわ」なんです。で、液体を入れて15分ほどこれを両方の人差し指で押さえていたのをあけて、先生が先っぽがとっても細くなっている管を掃除機原理でぴゅぅぅぅぅぅぅと吸い取ると取れるってわけです。
 なんだかやっかいなことになりつるのです。

憲法

 70年、手つかずで来たんだから、世の中もあの憲法を制定したときから変わっているんだし、それにふさわしいものにしてなにがいけないのか、触っちゃいけないものじゃないんだから、という声をごく当たり前のように聞きます。
 なにをいってんだろうなぁ。それが見識のある考えだっていうんだよね。冗談じゃないよ、そんなこといったら、一年ごと、あるいは時々刻々憲法を変えていかなくちゃならないじゃないか。そんなバカな話があるか。
 昭和の時代に入ってからのたったの20年間で、この国はなんであんなことになったのか、誰が何をしたから、誰がなにもしなかったから、あんな醜悪な国になったのか。
 それを心の底から、あぁ嫌だ、もうこんなことになるようなことのないように、しっかりした理想をちゃんと目の前に掲げて忘れないようにしようというのがこの日本国憲法だったのではないのか。それをたかだか、復古調に染まりたがる輩のいかにものような声に同調する、それもごく簡単に同調してしまって、310万人のこの国の戦争関連死者や、アジアの侵略していた先で犠牲になった人たち、むごたらしいことを平気で行ってきた捕虜になった人たちを忘れてしまおうというわけだ。そういう社会の再来を待ち望んでいる国家になってしまう。彼らをテレポーテーションであの20年間に送って差し上げれば、みんな幸せになるのかもなぁ、彼らだって嬉しいでしょ?

2017年05月12日のツイート